第12号 1998年5月20日


主な内容


「21世紀の女性と仏教」
     駒沢女子大学学長 東 隆真

 今年は、西暦1998年。 2000年は道元禅師ご生誕800年、2002年は750回大遠忌を迎える。私は、20世紀を道元禅師でおさめ、21世紀(もっとも、この世紀という歴史観はキリスト教のもので、仏教やイスラームには関係ないが、いまは一般社会にならって便宜的にもちいる)は道元禅師ではじめたいと思う。

 さて、21世紀は、「人間の時代」とうけとめたい。 過去の1世紀、人間は、科学文明を構築し、物質的繁栄をめざし、自我の拡大を追及してきた。そして、いまや、その限界に達しようとしているかのようである。国際化する現代世界、地球人として、人間とはなにか、人生はなんのためにあるのかということを問題にしないわけにはいかなくなった。いろいろなとりくみ方があろうが、その一つとして、男女とはなにか、男女という人間の生き方が、その根本から自覚されなければならないだろう。

 このとき、私は、わが曹洞宗の高祖道元禅師、太祖瑩山禅師の女性観が極めて大きな意味をもってせまってくると思う。

 道元禅師は、当時の仏教会の男尊女卑の弊風や女性蔑視の悪習貫を否定し、男女平等、女性尊を説いて、仏道修行における男女の人格の平を強調した。 これはヨーロッパのルネッサンスやマルチン・ルターよりもはるか以前に唱えられた男女の人格の尊厳性を説くものとして評価されている。

 瑩山禅師は、道元禅師の女性観を継承して、女性僧を養成し、女性僧の住職や後継者を指定した。

 私は、アメリカ各地の禅センターで、道元禅師、瑩山禅師の女性観を講演し、予想外の大きな反響をえた。 帰国後、これを成文化した。黒田武志師のご協力を支えて、安藤嘉則助教授の英訳を付し、各禅センターに配布する計画を、具体的にすすめている。

 アメリカ各地の禅センターでの女性たちの活躍ぶりはめざましい。道元禅師、瑩山禅師の教えが生きている。


愛知県第一宗務所主催 海外徒弟研修同行レポート
貞昌院副住職 亀野哲也

 照明の落とされた堂内を静かに止静鐘が鳴らされ、夜坐が始まりました。しきりに屋根を打ち付ける雨の音と風にそよぐ松の枝の音が心地よく耳に届いてきます。

 ごくありふれた坐禅の光景のようでありますが、実はロスアンゼルスの南西約200キロの山麓に位置する禅マウンテンセンター陽光寺の法堂において、現地のメンバーと、日本からの徒弟研修会参加者が一堂に会して坐禅をしているのです。そこには異国の地であるということを忘れさせるような心地よさがありました。国の違いや人種の違いといったことを超越した一体感が堂内を包みこみ、実にすんなりと坐禅に打ち込む事ができたように思います・・・・・

 今回、愛知県第一宗務所主催の海外徒弟研修に同行する機会を得たので、そのレポートをここに紹介したします。

 ツアー参加者のうち、徒弟としての参加は小学校1年生から高校生までの6名(男子5名・女子1名)。その殆どが初対面であったためでしょうか、集合した名古屋駅から関西空港までお互い一言も会話を交わすことなく、みな少し緊張気味でした。約10時間の航路も、あまり眠れなかったようです。Picture

 ロスアンゼルスはエルニーニョ現象のもたらすあいにくの雨となり、マリナ・デルレイ、サンタモニカ、UCLA、ドジャーススタジアム、チャイニーズシアターの観光は駆け足となってしまいました。道路は数箇所で冠水し、崖崩れも起こっているようで、自動車主体の交通網に多少なりとも支障をきたしていたようです。

 半日市内観光の後、リトル東京に程近い禅宗寺を訪問し、開講式が行われました。 秋葉玄吾北米総監をはじめ、開教センター及び禅宗寺の奥村所長、横山師、古渓師、小島師らによる挨拶を受け、自己紹介の後諸堂拝観へ。日本の寺院とだいぶ違う様子に皆とても興味を持っていたようでした。Picture Picture

 参列者の為の長椅子が教会のように並んでいる事、本堂の正面脇に星条旗が掲げられている事、位牌堂に納められている位牌に込められている意味、納骨堂の中の様子、法堂の下に機能的につくられた坐禅堂、現地の人々が文化の拠り所とする茶室や集会場など・・・・開教師の皆さんによる丁寧なわかりやすい説明を受ける事が出来ました。Picture

 寺院がいかに地域コミュニティーの中心に位置し、文化の発信基地となっているか、本来寺院はこのような姿でなければならないのではという思いでいっぱいでした。

 その後、メンバーの方自らの手によるクッキーとドーナツのもてなしを受け、懇親の場を提供していただきました。一度ホテルにチェックインした後、再び開教師の皆さんに夕食を同席していただき、開教に係わってきた体験談や様々な質疑応答を得る機会を得ました。

 初日から盛りだくさんの内容で、子供達も疲れていたようですが、ジェットラグのためか、その晩はあまり睡眠を取る事ができなかったようです。

 2日目の前半は、日本からの移民の心に触れる事に重点が置かれています。最初に見学した日系博物館は、西本願寺羅府別院を改修した建物で、本堂の内部が展示室としてそのまま使われています。Picture

 上を見れば見事な絵天井があり、劇場を思わせる二階席も残されています。時代を生きてきた移民の生活を継承するためのさまざまな資料が並べられていて、案内していただいた日系二世の鮫島氏からも収容所時代の貴重な体験談を伺う事が出来ました。Picture

 次に訪問した日系引退者ホームでは、約120人の比較的自立する事が出来る人を対象としており、一人一人に与えられた広い個室、入居金や経費の安さに驚き、あまりにも日本の老人ホームと異なることに衝撃を受けました。何よりも、200人を超えるボランティアがそれぞれ空いている時間を惜しみなく申し出て、ホームの運営に寄与しているという姿がそこに見受けられます。ボランティア活動無くして日系引退者ホームは成り立たない事でしょう。そしてここにも開教師の活動が重要な役割を果たしているのです。Picture Picture

 祖国を離れたという日系人の想いは、その墓地に顕著に見受ける事が出来ます。墓石に刻まれた夫婦の肖像、自らの生きてきたという証をここに残したいという一つ一つの願望が一つ一つの墓石として残されています。

 エバーグリーンの日系墓地には、一面芝生が植えられており、そこに整然と平板の墓石が並んでいる光景が見られます。中心にある戦没者慰霊塔において、午前中の研修の締めくくりとして一同による慰霊法要が営まれました。第二次世界大戦により、祖国と敵対することとなり、日本人は数年間、強制収容所へと収監されることとなりました。ロスアンゼルスの地でも、数多くの戦争による犠牲者があったのです。Picture Picture

 午後からは次の宿泊地である禅マウンテンセンター陽光寺へと向いました。一路南西へと3時間進み、パームスプリングスから次第にシェラ山へと峠を登っていきます。途中から道路は舗装ではなくなり、数日降り続いてきた雨のため、バスは次第にスリップを繰り返すようになってきました。数キロの間はなんとか登ってきたのですが、あと500mで陽光寺到着という所でついにぬかるみにタイヤを取られ、ここからは荷物を降ろして歩く事になったのでした。途中マウンテンライオンの足跡を目にしながら・・・・・

 「これって、本当にお寺?」と言うのが子供たちの第一声でした。松林の中に点在するトレーラーハウス、ロッジ風の幾つかの建物、確かに日本でのごく当たり前の物として思い抱いているお寺とは印象が随分違います。しかし、初めの感想は後で覆される事となりました。Picture

 陽光寺には日本人は居らず、もちろん日本語も通じません。ここで私たちを迎えてくださったのは5月に夫婦揃って晋山式を行うFletcher天心先生と、5名のメンバー達でした。到着後法堂にて所長老師導師による拝登諷経が営まれ、その後薬石。子供たちが2名ずつに分かれてそれぞれメンバーの方々と英語を介して交流の機会を与えていただきました。Picture

 ここ陽光寺にはアメリカだけでなくヨーロッパ各地から集い、職業も学生からコンピュータ技師、下水道設計士まで様々で、年齢も皆若い世代が多い事に驚かされます。生い立ちは様々であっても、こうして一つ所で同じ目的を持って修行しているのです。そして、日本からの将来僧侶になるであろう子供たちを心から歓迎してくれました。

 夜も次第に更ける中、法堂にての夜坐に参加させていただきました。中には初めて坐禅をする子供たちもいます。それでも、止静鐘が鳴らされると、不思議なことに坐禅に没する事が出来るのです。屋根をうつ雨垂れの音も、境内を流れるせせらぎの音も、心地よい響きとなって堂内に反響しています。Picture

 アメリカ人、ヨーロッパ人、日本人、そんなことはまったくどうでも良いことだという事に気がつきます。1チュウという時間が過ぎ、経行の後、天心先生による提唱を戴く事が出来ました。その要旨は次の通りです。

 「今日は、日本からはるばるこの陽光寺に訪問くださり、有り難うございました。
 皆様にお会いできた事をとても嬉しく思っています。私が初めて坐禅をした時は、3分程度しか耐えられませんでした。しかし、皆さんは17時間の時差を乗り越えて、疲れているだろうけれども、坐禅をしっかり行じることが出来ました。とてもたのもしく感じます。
 これから僧侶になるであろう男の子たち、そして女の子と私たちが一同に会して坐禅をする機会があったこと、これはとても素晴らしい事です。お釈迦様は恵まれた家庭に生まれ、育ちましたが、人生の上で何故人は苦しまなければならないのかと言う事に困惑し、何年もかかってやっと答えを見つけました。
 この教えは弟子たちに受け継がれて次第に広められて来たのです。私たちはどんな信仰を持つ事も法律により保証されていますが、この事は当り前のように感じてしまう事があるかもしれません。しかし、苦労してこのような環境を作り上げてきた先祖に感謝しなければなりません。そして今日のような機会を得る事が出来たのです・・・」

 天心先生の提唱は、きっと子供たちの心に深く刻み込まれた事と思います。

 陽光寺は、その電気は太陽発電により賄われ、暖房は槙を使ったストーブで行われています。自然に無理な負担を与えない、そんな生活が営まれています。動かす事のできなかった岩が部屋の中に半分顔を覗かせていたり、木の幹が屋根を貫いていたり…私たちの感じる心地よさは、単に親切なもてなしというだけではなく、道元禅師の最初に創られた道場というのはこのようなものでなかったかという思いから来るのかもしれません。Picture

 真っ暗な境内は、東司や風呂へ向うにもランタンが必要です。けれども風呂の施設はとても清潔に出来ている事にとても感銘を受けました。

 翌朝は、5時半に鐘が鳴らされ、6時から暁天坐禅を2チュウ行いました。あいにくの雨が降り続きましたが次第に空が明るくなるにつれて鳥の囀りも増えてきます。子供たちもすっかり坐禅に慣れてきたようでした。朝課は英語の経典が配られ、般若心経、英訳参同契、消災呪と諷経が続きます。アメリカなりに消化すると法式はこうなるのかということにとても感銘を受けました。違和感は全く感じられず、素直に受け入れる事が出来るのです。Picture

 小食は、手作りのスコーンとオレンジジュースを用意していただき、再び懇親会となりました。Picture

 その後、案内していただいた夏期専用の坐禅堂はまさに圧巻で、70人収容可能であり、建物はもちろん香炉や花器などすべて手作りである事に驚かされます。 費用は40万円もかかっていないとのことで、禅に対するメンバーたちの真剣な思いを図り知ることができます。Picture

 境内に祀られている石仏に供えられている巨大な松ぼっくりもとても微笑ましい印象でした。

最後のお別れは、子供たち一人一人が自分の言葉で感想を述べ、天心先生夫妻やメンバーたち一人一人とお互い握手して別れの時を迎えたのです。Picture

 陽光寺を後として、研修の残りの日程は砂漠植物園、ディズニーランド、ユニバーサルスタジオ、そして現地のショッピングセンターでの買い物と、アメリカの文化に触れることにテーマが移りました。Picture

 研修を通して、日本人がアメリカに移り住んできた当時の苦労や、祖国の文化をどれほど大切に思ってきたのかということ、アメリカの奥深い山中で禅の教えが種撒かれ、そこでしっかりと根づいている事、後半ではアメリカの文化を感じ取り、そこから改めて日本の文化を外から見つめることができたこと・・・・

 短い期間ではありましたが、とても充実した研修ツアーだったと思います。この企画を主催していただいた愛知県第一宗務所の加藤所長老師、篠田教化主事、SZIより講師として派遣され、充実した内容を提供くださった黒柳先生、禅宗寺や開教センターの皆様、陽光寺の皆様、各訪問場所で快く迎えてくださった皆様に心より感謝申し上げます。合掌
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山下顕光前北米開教総監老師ご遷化

 ロサンゼルス禅宗寺主任開教師・前曹洞宗北米開教総監である、禅宗寺九世・開教八世・大龍寺十六世山下顕光師は、去る2月20日ロサンゼルスにおいてご遷化されました。世寿87歳。

 本葬儀は、3月1日当地の曹洞宗両大本山別院禅宗寺別院葬として厳修されました。管長御専使として洞外文隆曹洞宗教化部長老師、永平寺御専使として南澤道人監院老師、総持寺御専使として江川辰三監院老師が日本より駆けつけられた。

 秉炬仏事は洞外老師、奠茶仏事は東京別院副監院武田秀嗣老師、奠湯仏事は永平寺国際部部長・SZI会長・松永然道老師、起龕仏事は曹洞宗ハワイ開教総監・町田時保老師、鎖龕仏事は駒沢大学教授・小笠原隆元老師により、厳かに執り行われた。

 故山下老師のご生前中のご活躍を物語るかのように多数の供華が捧げられ、ご威徳を慕い日本・全米各地より駆けつけた宗門僧侶50人余人を始め多くの多宗派僧侶一般会葬者が焼香し、ご入寂を悼み謹んだ。また故山下老師は1938年より長年にわたり、米国における曹洞宗教団の発展とともに、日系人社会の発展にも尽力してこられた。このため、禅宗寺檀信徒以外にも、在ロサンゼルス日本国総領事をはじめとするして多数の日系人社会の方々が弔問にいらし、御老師のご冥福を祈念申し上げた。

南原一貫師桑港寺 第十代主任開教師就任

 去る3月8日、サンフランシスコ桑港寺において第十代主任開教師に就任した南原一貫師の入山式が盛大に執り行なわれた。

 南原師は、1969年静岡県三島市医王寺に生まれた。

駒沢大学仏教学部卒業後、大本山永平寺に安居。1994年、サンフランシスコ近郊に位置する好人庵禅堂落慶式随喜のため渡米。これが契機となり、翌95年6月好人庵禅堂主任開教師・曹洞宗北米総監の秋場玄吾師の補佐を行う。1期7年4月案港寺へ転任、北アメリカ開教総監部非常勤書記となる。

 このような経歴を持つ南原氏の、主任開教師就任にあたっての抱負は、「みなさんが気楽に立ち寄れて、楽しく過ごせるお寺にしたい。」というものであった。 この言葉どおり、入山式には若者の姿も多く見られた。そして、サンフランシスコ禅センターの白人随喜僧侶6人をはじめとする日系人以外の出席者も多かった。

 桑港寺は、1934年に開創されて以来、主に日系人を宗教活動の対象にしてきた。また、日本の寺院も同様であろうが、若年層の寺院(宗教)離れも問題となっている。

 南原氏の就任は、このような現状の打破になることが期待される。
  (レポーター 愛知県地蔵寺副住職・浅井宣亮)


この一歩から よちよちと…

静岡県長源寺住職・海外開教師 山端 法玄

プロフィール
1935年 群馬県桐生市に生まれる
1951年 16歳の時、伴鉄牛師について坐禅の実習を始める
1961年 福井県小浜市仏国寺、原田湛玄師の門に入る
1974年 静岡県長源寺に晋山
1980年 英国をはじめ、ヨーロッパ各国、オーストラリア等で坐禅指導し、現在ではオーストラリア、スペイン、ポルトガル、英国の四ヶ国を中心に摂心会を開催 著書には「On the open way」(英版・オーストラリア版・ポルトガル語版) 訳書には テイク・ナット・ハン著「般若心経」「変容と癒し」
1998年 海外開教師辞令を受ける

 合掌、宗教庁国際課内外の方々の、具体的なご指導と、お扶けお励ましにより、ヨーロッパへのこの 旅の出発直前に、管長貌下より、洞門の海外開教師としての任辞令を拝受し、それを懐中に携えたまま、 東京−ロンドン−マドリッドーグラナダ−と飛んで来ました。そして今、ここからは車で幾時間か、シェ ラネバダの山奥へ入り、岳々と峡谷の間を終日曲折しぬいて、ようやく慈光庵に至ります。例年のスケ ジュールとはいえ、少々きつい時差ぼけに加えて岳の寒さが身にこたえるのは、老化の故でしょうか。

 1990年以来、未だに驢馬やミュールがポックリポックリと歩いて荷や柴を運んだりしているこの南嶽の 奥の細道を、幾たび通い辿ったことでしょう、でも、この慈光庵の碧空迄登りつめてふり返れば、眼下に は、2月はアーモンドの花ざかりの村々や峡谷が鳥瞰でき、又、その彼方には地中海の水平線が渺と走 り、さらに(雨後や秋空の冴えわたった日には)そのはるか視界のとどく尖に、アフリカの北岸やモロッ コのリーフ山脈さえ望めるので、ここで疲れが感動に一変してしまいます。こんな、信州信濃の山奥の その又奥の一軒家に、スペイン、ポルトガルからは勿ろん、スイス、オランダから、英国から、スカン ジナビアの方からも有志たちが集まって、年々摂心や諸々のコースをひらいています。摂心と言っても、 4〜50人内外のささやかなものですが、途切れもせずに年々細々と渓流(スペイン語でバランコ)のよう につづいて来ています。境内をこの渓中が走り下って、岳麓の村々を潤しています。毎年2月いっぱい あちこちの村々山々を、かすみがつつむように満開するアーモンドの樹林も、今年は2月の終りに着い て見ると、もうほとんどは散っていました。

 南スペインのこのアンダルシア地方は、アルハンブラ宮殿でよく知られるように、イスラム文化を継 承するアラブの王城主が長しく支配し(アラブのこの地での最後の王城主ボーアブディルが十五世紀の 終り近く(1492年)にイサベル女王一世のカトリック教徒の軍勢に降伏して城宮をあげわたす迄、実に 八百年近くもの間、この回教の王侯がこのアンダルシア一帯を統治していたので)、イスラム文化の特異 な香気が、とくにこの辺りの古い村々には残っていて、キリスト教文化圏には見られない殿堂、風趣が いたるところで感じられます。ここ慈光庵の山腹は、海抜千五百メートルもの高岳、背後には最高峰のム ルハセンを背負って、南欧と言ってもかなりの厳冬なのですが、一月はもう眼下は見わたすかぎりアー モンド満開(さくらそっくり!)の春色です。

 丁ど四年前の夏、隣村ヴァロールから山た火が、この辺一帯に燃えひろがり、風にあおられて襲って 来た炎によって、慈光庵境内の樹齢500年もの数本の栗の大木もふくめてポプラの樹々(アラミヨス) たち、桃、桜、その他の果樹の大半が焼失して、無残にも灰色の山骨と化したのですが、建物は健在で、 今は又、あらゆる芳草山木の群が緑衣をまとって春を迎えています。

 ここでの生活は、四時半の暁天坐から始まり、九時半の夜坐解定で終る迄、坐禅、経行、独参、粥斉 坐、小生の法話と、会衆との質疑応答、ヨーガ、山作務や作業、行水、薬石夕会(今日一日の反省や明 日の予定などの話合い)、…という日課なのですが、そのカタチよりも、各々の自覚内実のしらべ確かめ を主体にして、できる限り一人一人とのキメこまかい心の交流を(道心のありようと見地着眼の方向と を究め合うことを)心がけています。

 今回この摂心の集約的テーマは、昨年にひきつついて、「輪廻の主体と(心経の)空」についてのしら べ合いです。

 長い肉食の習慣が身についている西洋人は、体が硬くてすぐには趺坐ができない、そこでいろいろ研 究し合った末に、わたしたちは毎日ヨーガと純正精進(穀菜)食とによって数年もかけて姿勢(坐相) を根底から、内臓系から、各自調して行くことにしました。これは、坐修と相和して心身を柔軟に養い つづけて実に有効です。実験例があちこちでもう沢山あります。もとより、釈尊がすでに仙人について (苦行だけでなく)幾種ものヨーガを実習しつつ坐を貫いていられたのでしょうか。これは、何教何宗・・・ と分かれるより以前に、ヨーガと禅定は不可分に修証され、インド全体(ひいては人類共有)の伝統叡 智の結実なのではないでしょうか。日々坐禅とヨーガ呼吸体操(調身・調息・調心)とは補い合って、 土台づくりから生活ぐるみ健全にして行うと、(八正道を参照しつつ)功夫し合ってやっています。

 18年前の1980年に、突然英国の旧友たちに呼ばれて始まったこの年参行脚は、その後法綾に導かれる ままに、エール、オランダ、イスラエル、キプロス、ノルウェー、フランス、スペイン、ポルトガル、U・ S・A、ギリシャ、スリランカ、オーストラリア、ニュージーランド、インド、マデーラ、などに呼ば れては摂心やパブリックトークをして、ひとり旅がつづきました。最近では、その中から止まれぬ法縁 だけにしぼって、英、スペイン、ポルトガル、オーストラリアの四ヶ国だけに滞在し、他の国々からは、 この四会場へかれらの方から出かけて来てもらうことにしています。老骨にはいくら鞭打っても廻りき れないからです。

 フランスで「プラムヴィレッジ」という難民をかかえた修禅村を開いているティク・ナット・ハン(TH ICH NHAT HANH )禅師は、今、欧米では、ダライラマとならんで世界に法灯を点火して止まない人 です。(その著、「ザ・ハート・オブ・アンダースタンディング」は、彼の般若心経講録で、三年前小生邦訳し 自費出版・・)。このブラムヴィレッジで、彼のフランス語、英語間の通訳をしていたフランシスなる居士 は、禅師に随身する10何年か前に、英国南西デボンのガイアハウスで開かれた小生の摂心会にフランス から海をこえて参加した法縁を有ち、インドやヒマラヤ、ネパールなどに師を尋ねて遍参した半生のス トーリーをきかせてくれました。この波が、プラムヴィレッジでナット・ハン禅師について大、小乗を (そしてチベット仏教は他の師について)学んだ後、1991年小生の弟子「真顔」となってあらためて剃髪、 ここ慈光庵では小生の不在中、日課の常修から境内地(約十町歩)の管理から村人たちとの交わりや海 外からの来泊者たちの世話から法律関係や寺務から・・・ 一切を、精力的にひき受けてやりこなしてくれています。やがて老生が、もう地の裏からやっては来れ なくなる来世紀に入ってからも、この彼が、国々の多くの道友たちと相和し、この山この僧伽を守り嗣 いで堅実にやって行ってくれるでしょう。2年もかけて二人でじっくりと坐りながら仕上げた彼との共 訳合作(英語、スペイン語)の心経は、毎暁こちらの岳々にこだましています。

 この慈光庵での摂心のあと、又英国へ飛んで、こんどはウェールズで旧い道友たちと一隈心して、3 月末に自坊へ帰ります。でも、すぐ又、そのあと5月3日から7月1日迄、シドニー郊外のタイ仏教セ ンターその他の瞑想センターで摂心やパブリックト−クなど予定されていて、貧乏無暇を体験しはじめて います。(この5月をはじめの渡蒙までには、もう2年もかかってしまったバイロンベイの新道中庵、あ らたな次の小著「0pen Way Zen」とが完成公刊されている筈です。)いよいよ心し心して、この一歩の 大地を踏み、牛歩します。合掌
1998・3・5 スベイン慈光庵にて...


SZIだより ・・・ 総会報告

去る2月16日(月)午前11時より、1998年度「SOTO禅インタ−ナショナル」の総会が東京グラン ドホテル3階「芙蓉」の間において開催された。
 この総会に先んじて、松永然道会長の導師により、海外開教師示寂者追悼会が厳修された。つづいて副 会長・藤川享胤師の開会の辞、会長挨拶が行われ議事に入った。
 まず、議長選出では、事務局一任の声により、滋賀県正伝寺住職北野良昭師が選出され、議案が討 議された。事務局より1997年度事業報告、会計報告、会計監査報告され、満場一致の拍手で承認された。 引き続き、1998年度事業計画案、会計予算案が事務局から提出され、これも満場一致の拍手で承認され た。

 その後、参加者との意見交換では、3月下旬実施予定の人材育成を目的とした海外スタディ−・ツアー に大きな期待が寄せられた。

 また、「アメリカにおける女性の禅指導者を支援する会」を代表して笹川悦道師よりSZ Iに対し募金 活動のお礼と、引き続き事業協力の依頼があり、相互により一層協働し事業を展開することを確認した。
 総会は11時50分、議長・北野良昭師のスムースな議事運営により滞りなく閉会となった。(会員の皆 様には別冊にて総会資料を送付致します。)

 昼食後、1時から「禅修行を通して得られたもの・・・ 両鏡相照」と題し、講師ブライアン・バークガフニ師をお迎えして講演会がおこなわれた。 講演会後は質疑応答も活発に、予定時間を大幅に超過し行われ、参加者一同有意義な時間を過ごす事 が出来た。

 総会、講演会には、宗議会を目前としたお忙しい中、議長をお務め頂いた北野良昭師、遠方より志保 見道元師、海外開教審議委員でもある櫻井乗文師がご参加いただきました。また、講演会には会員以外 各方面からの参加があり、海外布教に対する関心の高さをあらためて事務局が実感する行事でもありま した。
事務局記


シンポジウムのご案内
テーマ仏法東漸「異文化圏で育つ仏法」

異文化圏へ伝え、そして学ぶ。

世界の人々の生活は相互に依存し、影響を及ほし合う地球時代を迎えています。
このような時代の中、海外での布教活動を日本の万々にも知って頂き、その結果として相互の布教活動が刺激され活発になり、より一層相互協力・ 協働出来る環境整備に貢献できればと思い企画致しました。

日時 1998年6月15日 1時受付
場所 愛知専門尼僧堂(正法寺)
地図を見るにはここをクリックしてください
会費 5000円

主催 愛知専門尼僧堂
アメリカにおける女性の禅指導者を支援する会
企画共催 SOTO禅インターナショナル

1時 受付開始 接茶  講堂にて
1時50分 開講式  本堂へ移動
2時 本尊上供
2時15分 基調講演  本堂にて
「北米巡回布教を通して」 講師 青山俊董老師 愛知専門尼僧堂堂長
休憩
3時30分 パネルディスカツション バネリスト
法岳光徳(のりたけ・こうとく)師  *京都府宝泉寺住職(臨済宗)   花園大学内禅文化研究所研究員
べナージュ大円師  *マウント・工クィティ禅堂   米国ペンシルバ二ア州
峰岸正典肺  *群馬県長楽寺住職   曹洞宗海外開教審議委員
質疑応答
5時 懇親会  講堂にて
閉会  解散

参加こ希望の方は同封のハガキにて6月1日までにお申し込みください。この行事に関してのご質問等は
東京中野宗清寺内 SZ I シンポジウム事務局
03−3361−0614 飯島まで。


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