第13号 1998年11月20日


主な内容


世界宗教者平和の祈り集会によせて
SZI会長  松永 然道

 朝日新聞にトンボの眼というコラムがある。社会のあらゆる出来事を複眼的に 見てゆこうという欄である。 トンボの眼は数万の個眼が集まっていて、ひとつひと つの個眼は部分、断片しか見えず、それぞれの像をつなぎ合わせて全体像をつくっている。視界は人間よりひろいとのこと。

 それからいくと私の眼は、トンボの個眼ぐらいの働きしかしていないのだと思う。毎年世界宗教者平 和の祈りの集会がイタリアを中心として開かれてきた。今年で12回目になる。周知のように、この祈り の集会はローマ市の聖エジディオ教会に本部を置くカトリック青年信徒組織がバチカン法王庁と密接な関係を持ちながら主催するものである。世界のあらゆる宗教者をこれだけ集めることの出来るのはカトリックだからであろう。

 今年の集会は例年より1ヶ月程早くコンスタンチィネスク・ルーマニア大統領の平和を希求する切なる 願いにより、東欧の地ルーマニアのブカレストで、8月30日より3日間に亘り開かれた。

 人類は第1次、第2次の世界大戦において7、8千方の人々の生命を抹殺してきた。20世紀が正に略 奪と虐殺の世紀と云われる所以だ。この20世紀が終わろうとする時期にあっても尚、人類の殺し会いの 終焉に見通しかない。人類は己の愚行にとどめをさすことの出来ない生き物なのだろうか。21世紀末ま でには人口が百億を越えると予想される。人口の増加は、職と食を求めて人口の大移動がおこることが 予想される。大業者は10億人にのぼり、絶対貧困者は12億と予想されている。その結果、自己中心的なナショナリズム、リージョナリズム、グローバリズムが勃興し兵器は否応なく拡散する。経済は市場主義が中心となり、情報通信による人間疎外の影が益々大きくなる。そうなってからでは遅すぎることは誰にでも分かっていることである。今われわれ宗教者がなさなければならないことは何なのか、私はこの平和の祈り集会に参加する度に、宗教者の祈りだけで実質的な平和を招来することの難しさを感ずるが故に集会に出席することに気持ちがおもいことがある。

 私たちの眼は個眼であり、部分的、断片的にしか世界が見えない。人が何を見ているのか分からない。 分からないこと当然であるが、エジディオ共同体の会員の人々はすでに何かを見つけている。祈りによってこの世に平和をもたらすことが出来るという強い信念である。信仰心に裏打ちされた無償の奉仕が十年以上にも亘って集会を続けさせた。更にそれが世界の諸宗教の交流をも定着させてきたのである。 今年のルーマニアにおける集会も世界各国からの諸宗教者を自国に招き、独裁国家であった悲劇から立ち直りつつある姿を世界の人々にみてもらい、自国民にはこの様な大きな世界大会が持てた自身と誇りをもたせ、周辺の悶々と同じく政治、経済と民族、文化の混乱から立ち直ってゆく自覚を得せしめようとしての思いがこの大会を聞かせたのだとするならば、そこに祈りによって世界の平和をかすかながら望める一つの証であるのかもしれない。


海外布教シンポジウムレポート
テーマ仏教東漸「異文化圏で育つ仏法」

愛知学院大学研究員  浅井 宣亮

 愛知専門尼僧党主催、SZI企画共催により、 “仏教東漸「異文化圏で育つ仏法」”をテーマとす る海外布教シンポジウムが、6月15日愛知専門尼僧 堂において開催された。

 青山俊董愛知専門尼僧堂堂長老師の導師により、 開講式が営まれ、引き続いてSZI会長である松永 然道老師と、本シンポジウム開催にあたり色々協力 していただいた愛知県第一宗務所所長である加藤研 吾老師が挨拶された。

 次に「北米巡回布教をとおして」と題した青山老 師の以下のような基調講演がおこなわれた。

 「20年程前に東西霊性交流会に出席して以来、海 外に行く機会がある時は『真理は一つ、切り口の違 いで争わぬ。』という余語老師の言葉を心に持って行 くことにしています。余語老師は‘法’を水の流れ に例えられました。また、沢木老師は『飲み方に流 儀があっても、胃の消化に違いはない。』と言ってお られます。そして、地球を外から眺めた経験を持つ ある宇宙飛行士は『神の名、宗教の名はローカルだ。』 と感想を述べています。

 茶筒のような円筒形の物を二つに切る場合、同じ 茶筒でも切る角度によってその切り口の形は異なり、 四角になったり丸になったりします。このことと同 様に、キリストの切り口とシャカの切り口の形は異 なります。キリスト教は砂漠の宗教であり、仏教は モンスーンの宗教であるため、自ずと切る角度は異 なってきます。このような切り口の相違は必要があっ てできたものであるから、大事にしていきましょう。 自分の切り口も大切、他人の切り口も大切なものです。

  中国には‘南船北馬’という言葉があります。こ れは、北は儒教、南は道教という意味ですが、前者 は砂漠、直線、父なるもの、厳しい、狩猟を連想さ せ、後者は海・水、曲線、母なるもの、優しい、農 耕を連想させるものです。一方、桜は散るが、牡丹 はくずれる、というように、日本には花に関して色々 な言葉があります。この他に雨をあらわす言葉も、 日本には多くあります。しかし、砂漠の国では砂を あらわす言葉が多く、北欧では氷をあらわす言葉が 多くあります。また砂漠の宗教であるイスラム教が 説く浄土は‘涼しい・緑・とげのない木’というも のになっています。このような、地域、自然環境に よる切り口の相違は当然のことであり、無視せず、 大切にしなければなりません。

 このように、授かった自然の違いというものは、 私達に大きな影響をあたえています。

ところで、仏教の教えの中にも色々な説相があり ます。しかし、『宗論はどちらが勝ってもシャカの恥』 という言葉があるように、どの説も大事なものであ ると思います。北米巡回布教をとおして得た感想は、 『‘不易と流行’ということを忘れてはならない。』 ということです。不易とは、諸説のある仏教の中で も、この一点が変わったら仏教ではなくなるという もので、流行とは、むしろ変わった方がいいという 側面のことです。

 不易は重要ですが、流行は押し付けてはだめです。 例えば、先祖供養は日本的要素が強い流行でしょう。 異文化圏への布教を考えた場合、不易つまり個人の 救済を真剣に考えなければなりません。本当の落ち 着き所を示すのが仏法でしょう。しかし、法はひと り歩きするものではなく、人が背負っていくもので す。したがって、人を選ぶことが必要です。そして、 ひとりひとりが自分から始めることが大切です。人々 が本当に自覚すれば、世界は変わるでしょう。

 インドから伝わった仏教が、真に日本的展開をみ せたのは鎌倉時代であり700年かかっています。アメ リカにおいても、時間をかけてアメリカ仏教を展開 してもらいたいと思います。」

 そして引き続き、パネリストとしてべナージュ大 円師(米国 ペンシルバニア州 マウント・エクィ ティ禅堂堂長)・法岳光徳師(のりたけこうとく 京都府 宝泉寺住職(臨済宗) 花園大学禅文化研 究所研究員)・青山老師、コーディネーターとして 峯岸正典師(群馬県 長楽寺住職 曹洞宗海外開教 審議会委員)を迎えたパネルディスカッションが開 催された。

 大円師は北米における布教活動を通じ、「アメリカ で、日本的仏教ではない純粋な仏教(ジャスト仏教) を教えてほしいと言われたことがあります。しかし ながら、アメリカは個人主義の国であるため、不易 のひとつである‘当願衆生’の心を伝えることが難 しく思えます。

 また、私の禅堂は田舎にあり、クェーカーと呼ば れるキリスト教の一派が盛んな地域であるため、剃 髪して衣を着ていると、村八分になっているような 不便を感じます。私の格好を恐いという人も多いの で、髪をのばし普通の格好をした方が、より多くの 人に禅を伝えることができるのではと考えることも あります。これに関しては、メンバーの意見も半々 です。

 アメリカでは、僧侶の数が少ないこともあり、出 家僧侶が禅を教える方が少ないと思います。そして、 仏教とは無関係のようなニューエイジ禅も盛んです。 大円さんのところは、仏教徒でなければ坐禅できな いということで、TMのようなニューエイジ禅のセ ンターに行った人もいました。このように、アメリ カの禅を取り巻く環境は、特に田舎では、非常に日 本と異なっています。」という意見を述べた。 続いて、法岳師が臨済僧の取り組んできた禅の国 際化、韓国仏教事情について意見を述べた。「臨済宗 では山田無文老師の意志に基づき、情報が禅研究所 に集まるようにし、海外からの人々の受け入れ体制 も整えられました。例えば、私が神勝寺国際禅堂に いた9年間の間には、40数ヵ国から約3000名の入門 者がありました。また現在、宝泉寺禅センターも発 足2年目となり、岡山曹源寺・京都国際禅堂などで も海外からの人を受け入れています。しかしながら、 日本での長期の修行にはビザの問題などが存在しま す。

 ところで、私は、大円さんがいわれたジャスト仏 教は’まごころ’であると思います。純粋な心(ま ごころ)を禅といいます。そして坐禅の目的は、日 本人でもなければ外国人でもない本来の人間性に日 覚めることにあります。この体験は、万物への愛情 を高め、人種、民族、宗教、国家を超え、心身とも に健康な人創りと、人間性豊かな平和な世界を築く 原動力となります。仏を殺し、祖師を殺し、教団を 離れてこそ仏法は育ちます。

 一方、現在日本の臨済宗には、20年前に閉単し て以来尼僧道場がありません。道場を求められた場 合は、愛知尼僧堂を紹介しています。しかし、台湾・ 韓国では尼僧団は非常に強い力を持っています。韓 国では、男僧教団に属していては尼僧は小さな寺の 住職にしかなれないということで、尼僧団は独立し た教団を作るにいたりました。韓国では、自国の居 心地が悪ければ、老師も外にでていきます。これは 日本とは異なる特色です。」

 そして、峯岸師がシンポジウムをまとめて、「僧堂 は仏法の伝統を身につける場所です。このような尼 僧堂で‘異文化圏で育つ仏法’というシンポジウム が開かれた意義はどのようなものなのでしょうか。  異質なものに触れ合うと、それまで自明と思って いたことの意味を考えさせられます。例えば、剃髪 することは日本の僧侶であればごく自然なことで、 社会もそれを当然なこととして受け入れ、その意味 を考えることは余りないのではないでしょうか。し かし、大円さんのように、剃髪という慣習がない男 文化に接した時に、人はその意味を深く考えざるを えません。 ’剃髪’ は煩悩を断つという意味を持っ ています。そして髪は煩悩と同じくまたのびてくる ので、定期的に頭を剃ることが必要なのです。

 ドイツの哲学者ガバナーは『理解とは真理と出会っ て変わることだ。』と言っています。曹洞宗も、異文 化の中で展開することにより、いままで気付かなかっ た側面が見えてくるようになると思います。その中 で‘ジャスト曹洞宗’というのはなんなのかという ことも明らかになっていくのではないでしょうか。 そして、これこそ曹洞宗が異文化圏で育つことであ り、‘異文化圏で育つ仏法’ではないでしょうか。」 と蹄めくくった。

 この後、尼僧堂の御厚意により講堂を使用して懇 親会が行われた。尼僧堂での懇親会にふさわしく、 料理は精進料理「安江」の料理であり、参加者、大 衆ともに楽しく親交を深めることができ、有意義な シンポジウムは終了した。


同じ空の下で
滋賀県覚伝寺副住職 宮前 憲生

「970年 滋賀県高島郡新旭町に生まれる
1992年 駒澤大学仏教学部卒業後、
   大本山総持寺に上山
1996年 ニューヨーク州の禅マウンテン・
   モネストリー・道真寺へ渡る

 ここマウントトレンパーでの生活も早や1年半を 迎えました。もう6月も下旬だというのにこちらの 早朝は少々肌寒いです。もう間もなく午前4時にな ります。今朝も懐中電燈なしでは歩きづらい山道を 下ってキャビン(山小屋)から禅堂へと向かいます。 日の出まではもうしばらく時間がある為、地上に明 りのないこの暁天には、両手で教えられる程の星達 がまだ鮮明に瞬いています。玄関の重い扉を引いて 外よりも暗いビルディングの中の電灯のスイッチを 捜します。コーヒーメーカーのボタンを押して洗面 を済ませ、出来上がった少し濃い目のコーヒーを飲 み終わると、今朝もゆっくりと坐禅の仕度をします。 この暁天(朝の坐禅)はとりわけ心地良いのです。 止静鐘(坐禅の始まりを告げる鐘)を迎えると、よ うやく空が白むでくるのに気が付きます。そして小 鳥の歌声は、今朝も緑につつまれたこのモネストリー (僧堂)の境内にこだましています。

 申し遅れました。私、宮前憲生はここ禅マウンテ ン・モネストリー道真寺で、只今修行生活を送って おります。こちらはニューヨークシティーから車で 2時間半程離れたニューヨーク州の北部のマウント トレンパーという所にあります。キャットスキルと 呼ばれる広大な公園に囲まれた自然豊かなこの土地 では、この時期になると、山の緑がいっそう映え、 鹿やリス達が目の前を駆け周ります。そんな山、現 在11名の修行僧と20名の参禅者が共に修行していま す。ようやく私も日本語の通じないここでの生活に も慣れてきました。

 「カウボーイ禅」こちらの堂頭和尚のジョン・大 道・ローリー老師は、このアメリカの禅をニックネー ムでそう呼びまびます。その要素として、まず1つ 目は、だれもが修行僧と同じ様に修行生活ができる ということです。禅に興味を持ちここで修行生活を 試みようと思えば、必ずしも僧侶になる必要はない のです。キリスト教文化の歴史を持つこの国の人達 が禅堂で生活するというのはちょっと変わっている。 と彼らは自分でそう言います。それならどうして彼 らはここへ来ていると思いますか?「ここへ来るま で俺は生活に振り回され、物事を考えるゆとりがな かった。自分を見失なっていたと思う。そして、そ んな生活から抜け出したかった。」また、「他の宗教 のようにただ神を信じると言われても納得できない。

 自分が坐禅をして、作務をして、月分を頼りに禅修 行(Practice)というものをしてみたかった。」と多く の人達はそう言います。数日から数ヶ月、1年2年 と人によって違いますが、多くの新しい仲間の単 (席)が禅堂に加わり、又去っていきます。続いては、 男女が共に生活するということです。ここでは男女 の分け隔てなく作務や役割が分担されます。僧侶の 数が男女ほぼ同数で、女性の僧侶は日本語で言う 「尼僧」という感覚はありません。こちらでは僧侶を 「モナスティツク」と呼びますが、男女共に同じモナ スティックなのです。さらに、サンガ(僧伽)とい う集団の中で「男女を論ずることなかれ、これ仏道 極妙の法則なり」といわれるように、僧侶であるな いこ関わらず、皆が共に生活します。

 ある日、女性が重いゴミ袋を運んでいるのを見つけて、「私が変わ りましょう。」と袋を持ってあげたのですが、「なぜ?」 と聞かれて、「女性のあなたにこれは重すぎる。」と 答えたところ、「そんなの理由にならない。」と叱ら れてしまいました。「なぜ?」に対する私の答えが間 違っていたのです。最後は、このモネストリーが開 かれた環境にあるということです。毎週末には各種 講座が開かれます。合気道・華道・カヌー・バード ウォッチング等毎回アメリカ国内から講師が招かれ たくさんの受講音がここを訪れます。そして講座と 共に作務や坐禅といったこのモネストリーのスケジュー ルもこなします。

 寺小屋を思わせる和やかな雰囲気 でありながら、皆が真剣に坐禅にも励みます。また 毎月末の撮心会にも30名から50名と多くの参加者が あることからも、このモネストリーを知る人がいか に多いかおわかりかと思います。ここを訪れる人は、 アメリカ人のみならず、隣国カナダ・メキシコはも ちろん、イギリス・フランス・ドイツ・ポーランド・ スペイン・ベルギー・スイス・イスラエル・オース ラリア・ニュージーランドと色んな国の人達の色ん な話が聞けて、まるで毎日が世界旅行です。

 さて、暁天に引き続き朝のおつとめでは「摩詞般 若波羅蜜多心経」を英訳で読経します。“Maha Prajuna Paramita heart Sutra 〜 Avalokiteshvar a Bodhisattva .....”英語の発音でこの経典は木魚の 軽快なりズムにより力強く読経されます。ステップ を踏み体を振わせ、日本の般若心経とは少々異なり ますが、日本人が中国の禅を自分達のものとしてき たように、この国にはこの国のやり方が必要なのだ と私は考えます。ましてやここアメリカは太平洋を 隔てた遠い国です。東シナ海を渡ってきた時より変 化があって当然だと思います。しかし変えてはなら ない部分があります。例えば、食事に関して言えば、 たっぷり盛って、食べきらなければ捨ててしまう習 慣がこの国にはあるのでしょうか。毎食多くの食べ 残しでキッチンのゴミ箱が満たされるのです。私達 日本人も例外ではありません。「食は諸法の法なり。」 (赴粥飯法)今一度、釈尊や祖師方の教えを私達自身 が顧りみる必要があるのだと気付かされました。

 このモネストリーの作務はこと更力仕事が多いの です。春には舗装、夏は芝刈り、秋は薪割り、冬は 除雪といくらやっても先の見えない作務ばかりで、 草にかぶれたり、生傷が絶えませんがそれらは私の 最も好きな修行の一つなのです。

 そして、夜坐(夜の坐禅)が終わると、暁天とは 違い満天の星達がキャビンまでの夜道を照らしてく れます。この星達は2500年前も同じ様に釈尊の足元 を照らしてきたのでしょうか。仏法はこの星達のご とくいつの世も、どんな場でも変わらずこの地を照 らし続けてくれることでしょう。


鈴木俊隆学会に出席して思ったこと
愛知学院大学研究員 浅井 宣亮

 ‘鈴木俊隆老師の生きざま、時代、教え’という 副題の付いた、鈴木俊隆学会が5月30〜31日に、サ ティ仏教研究所とスタンフォード大学仏教研究所の 共催により、スタンフォードで開催された。 鈴木俊隆師(1904〜71)は、1969年に渡米し、サ ンフランシスコ桑港寺の6代目住職に就任した。桑 港寺は元来、日系移民のための活動を行ってきた寺 院であった。しかし鈴木師は白人に対する坐禅を中 心とした禅布教に熱心であったため、日本的な仏教 寺院を希望する日系人のメンバーとの摩擦が生じ、1 969年にサンフランシスコ禅センターは桑港寺から独 立することになった。現在、サンフランシスコ禅セ ンターは北米曹洞宗系禅センターの中で、最も大き なセンターのひとつであり、その系列禅センターも 多数存在する。

 この会議では、学術研究者、神センターの指導者 をはじめ、多くの鈴水俊隆師の弟子達が発表をおこ ない、また、日本から招かれた鈴木包一師も、師匠 であるとともに父でもある俊隆師の日本でのエピソ− ドを披露した。

 ところで、多くの発表を聞くにつれ、筆者にはあ る考えが浮かんできた。それは、サンフランシスコ 禅センターとロサンゼルス禅センターとの相違であ る。ロサンゼルス禅センターは、故前角博雄師創設 による禅センターであり、サンフランシスコ禅セン ターと同様に、そこから派生した多くの系列センター が存在し、北米で最も大きなセンターのひとつであ る。

 このふたつの禅センターを比較したとき、サンフ ランシスコ禅センターではその系列禅センターが、 サンフランシスコ近郊に多いが、ロサンゼルス禅セ ンターでは系列禅センターが全米各地や他国に広がっ ている一方で、ロサンゼルス近郊には少ないという ことが指摘できる。この違いはどこからくるのであ ろうか。

 この理由は、‘公案を使用するかしないか’とい う点にあると推測できる。鈴木師の指導方法は、公 案を使用しない‘只管打坐’であったが、前角師の 指導方法は只管打坐を中心にはおいているが、公案 も使用するというものであった。このため、アメリ カの禅センターガイドブックの分類では、サンフラ ンシスコ禅センター系列は‘曹洞’に分類されてい るのに対し、ロサンゼルス禅センター系列は 曹洞・ 臨済’という分類になっている。

 アメリカ一般社会に最初に禅を広く紹介したのは 鈴木大拙師であり、それは公案禅であった。このた め、北米においては公案を求める声も高く、前角師 の教化方法は北米での需要に応えるものであったと いえる。このような状況のなかで、はじめて純粋な 只管打坐を一般に広めたのが鈴木師であった。

 公案を使用した場合、どこまで修行が進んでいる か明らかになるため、弟子達は互いに競争するライ バルになりやすい。この傾向は、個人主義の浸透し ているアメリカでは日本より強く出るのではないだ ろうか。一方、只管打坐の場合は、修行の進み方を 示す明確なものさしがないため、弟子達はライバル というより、良き友人といった関係になりやすいの ではないだろうか。そして鈴木師は初心の重要性を 強調し、サンフランシスコ禅センターのシティーセ ンタ−を‘初心者の寺’と名付けている。

 前角師の高弟達にはカリスマ性をおびたような活 動的なものが多く、全米、ヨーロッパで精力的な教 化活動を展開している。一方、鈴木師の高弟達には、 スマートで穏やかなものが多く、腰を落ち着けて布 教活動を行っているものが多い。

 また、公案を参究していくためには、師匠から直 接指導を受けることが必要不可欠である。そのうえ 当然、指導者は公案を終えている必要があり、なお かつ英語に堪能であることが要求される。そして、 ひとりの師匠を選択する必要があるため、同地区に 二人以上の指導者が並存していくことは難しい。こ れに対し、只管打坐の場合は、指導者は重要ではあ るが、友人達で坐禅会を開いていくことも公案禅の 場合より容易である。このため、中小の禅センター、 グループが多く出来やすい。

 このように、同じアメリカの、同じカリフォルニ ア州の、同じ曹洞宗の禅センターであっても、色々 なスタイルのものが存在している。筆者はここで、 どのようなスタイルが優れているのか論じるつもり はない。アメリカでの禅は今だ過度期であり、多様 な禅が存在している。しかし、多くの人がよりアメ リカに通した禅を産み出していこうと真剣に努力し ている。そしてそのような禅を求める声も強い。我々 にとって重要なことは、アメリカの現状を認識し、 そのような声に耳を傾け、微力ながらも何か貢献で きることはないかと絶えず気にかけ、実行していく ことだろう。


平和の折りレポート
SZI事務局長 福島 伸悦

1 はじめに

 第12回世界宗教者平和の祈りの集いが、聖エジディ オの共同主催で8月30日から3日間にわたりルーマ ニアの首都ブカレストで開催された。

 こうした会議というのは、現実認識に欠けたり、 緊張感に欠けたり、お祭り騒ぎで終わってしまいが ちだが、世界で起こっている諸問題を宗教がいかに 解決できるのか各分科会で真剣に議論されたのには 驚いた。

2 テーマ

 テーマは「Peace is the Name of God」(平和 は神の名の下で)−God・Humankind,Peoples (神・人間・民族)というものであった。

3 各分科会の内容

私が出席できたのは限られた会場((1)生命の宣言− 死刑に反対して (2)諸宗教対話の歩み(問題と期待) (3)折り(4)アジアの危機を苦しみに対する日本宗教の 役割)だけだったので、取りあえずそこで話し合わ れた要旨だけを記したい。

(1)「生命の宣言−死刑に反対して」の部会
 アメリカ・ルイジアナ州からゲストスピーカーと して招かれたシスター・ヘレンは、アメリカでは死 刑反対のリーダーとして活躍され、なぜこの運動を しているのかお話下さった。1984年、彼女は死刑因 に頼まれ、死刑の瞬間を見た。その時から死刑に対 して納得ができなかった。彼女が作った「Dead Ma n Walking」という映画は、よく知られているとい うことだが、貧しいものの観点から死をどう考える かを問題提起しているという。死刑因がどんな犯罪 をしたかでなく、内面・宗教の根本にあるもの、許 し、人間の尊厳をいかに尊重するかである。敵は抹 殺しなければならないという考え方は宗教と反対す るものである。本来の宗教というのは、人間の深い ところで触れなければならない。今、アメリカでは M2000という文化人、宗教家、市民の間で死刑反対 の運動が盛り上がっている。そして、署名運動も展 開している。殺人は人間の心の中からおきる。だか ら、他人の生命、人間の尊厳を小さいときから教育 することが必要。死刑は人間の敗北であり、宗教の 敗北である。そして、神が命を与えて下さったこと・ への冒涜であると。

 また、1952年死刑因の教講師となって10年目に二 人の菟罪死刑囚の訴えに驚き,再審運動を続けると 共に、死刑廃止運動を行っている古川泰龍師の発表 は、多くの人々に感銘を与えた。20世紀は『虐殺の 世紀』であると明言し、人間一人の生命は全地球よ りも重いと主張。そして、憲法9条で戦争放棄をう たっているにもかかわらず、憲法31条では国家社会 の正義維持のため死刑は存続するという矛盾を指摘 し、人間の尊厳と殺人の問題はどうなっているのか 問題提起された。仏の大慈悲はすべての人々に安ら かな死、涅槃を与えたいのである。殺人はその安ら かな死、涅槃を奪うものであると。マザー・テレサ も「あの罪を犯したものも、神にとってかけがえの ない人」と言っている。戦争・死刑すべての殺人は2 0世紀を持って終焉としなければならないと結んだ。  聖エディジオ共同体・マリオ・マラジッティ氏は、 宗教に関わる関わらずに、人間としての権利は国連 人権宣言でも認められているもので、死刑がいかに 悪いものか強調。そして、人間を殺すことは神を殺 すことになる。キリスト教徒として人間が神から与 えられた命を絶つと言うことは、人間が神になると 言うことで、絶対にあり得ない。

 イギリスのジャーナリスト・ゲリー・オコーネル 氏はジャーナリストの立場で、中国などで行われて きた死刑因からの臓器移植の事実を指摘し、人間の 生命の尊厳について述べた。

(2)「諸宗教対話の歩み(問題と期待)」の部会
 バチカン諸宗教対話評議委員会長官・アリンゼ枢 機脚は、お互いの宗教が対話を通して認め合うこと が大事であることを強調。世界各地で起こっている 地域紛争、家族の問題、女性・子供たちの人権、対 人地雷の犠牲者、民族問題、難民の問題、牛命倫理 の問題、暴力・テロリズムなどの諸問題が解決され、 世界人類が平和に暮らせることが世界人類の願いで あるはずである。たとえ宗教の違いがあっても、世 界の宗教者たちが理想に向かって手を携えていくこ とが大事なことである。宗教の違いは、それぞれの 人々を離すものでなくつなぐもの、結びつけるもの である。目先の利益に目がくらむことなく真実を求 める生き方を示していかなければいけない。神の名 の下に暴力が行われ、平和への水を差すものは告発 していかなければならない。宗教は暴力を排除する ことから始めなければならない。自分たちの城に閉 じこもって、偏った考え方を押しつけるのは正しい あり方ではないと。

 イスラエル・ビジネス協会会長・シグムンド・ス テンベルグ氏は、宗教が世界平和のために何故、力 を合わせないのか疑問に思う。経済界でも対話をし たい。対話と良いコミュニケーション、つまり他人 の言葉に耳を傾けること。宗教家も宗教以外の世界 にも目を向けてほしい。ビジネスの世界でも共同・ 共存を基本に、Responsibilitv(責任)、Relation (関係)、Response(返答)の3原則を重視している。 一人一人の変革ないこ世界は変わらない。グローバ ル・コミュニケーションの時代にお互い協力して行 かなくてはいけないと。

 フランスのアラン・コルディエ氏は、宗教間の対 話の中でそれぞれの自由、尊厳、特殊性を尊重する ことが大切であることを強調された。そのためには 表面的なものでなく、それぞれの宗教が持っている 根の部分を学ばなければならない。地球化の時代、 対話を通して現在直面している問題を共通認識とし て宗教家は対処していかなければならないと。

 スウェーデンのルーテル教会・ビョン・ファルス テド司教は、「真理はあなたを自由にする」「すべて の人々が幸せになることを望んでいる」と言う聖書 の中の一説を紹介。グローバライゼーションという ことが言われるが伝統的なものがこれによって危機 になることも考え合わせなければならないと。

 天台宗国際平和宗教協力協会顧問(元天台宗宗務 総長)・杉谷義純師は、長い人類の歴史の中で宗教 は、それぞれの宗教の持つ絶対的真理を強調するあ まり、非寛容生を生み出し、結果的に対立を偏るこ とになってしまった。自己の宗教を至上とする改宗 主義が普遍的な正義と混同され、かつて歴史上いか に多くの悲劇を生みだしてきたか私たちは銘記しな ければならない。お互いの宗教の優劣を争うのでな く、対話を通じてお互いを理解し、共通点を見いだ そうとする努力が必要であると宗教対話とその継続 性の意義を説かれた。

 ヨルダンのカミール・アルシャリフ師は、ハッサ ン国王がこの平和の祈りに大変力を注がれているこ とを述べ、平和に対してイスラム教以外の人々とど のように対話をして行くべきか、コーランを通して 考えを述べられた。相手の考え方の違いを認め、例 外になくすべての人々と対話をしなければならない。 そして、より良きユダヤ教徒にならなければならな い。平和は神の別名である。平和は安心であり、愛 であると。

 聖エデジィオ共同体のアレツサンドロ・ズッカリ 氏は、いかなる理由があるにせよ戦争は避けなけれ ばならない。これらの紛争の多くが宗教戦争と呼ば れていることは大変残念に思うと同時に、大きな責 任を感じる。平和な世界を構築するために宗教対話 の重要性を説かれた。

(3)「アジアの危機と苦しみに対する日本宗教の役割」の部会
大本山永平寺監院・南沢道人老師の発表の要旨だ け記す。(他の部会にも出席したため、この部会は南 沢監院老師の発表だけ拝聴した為)

 アジアの一局地的に顕在している状況は、20世 紀を通じて形成された世界規模の危機の構造に由来 するとし、人間にとっての真の危機とは、私たちが より善く生きていこうという志を失った時のことで あり、真に恐るべき苦しみとは、自己が他者に対す る共感を失い、孤立し利己的になることなのである と。そして、道元禅師がお示し下さった「菩提心を 発すというはおのれ未だ渡らざる先に一切衆生を渡 さんと発願しいとなむなり」のお言葉を引用され、 生命の尊さと価値の意味を求め、他者への共感を育 てることをあらゆる具体的広行動を通じて人々に訴 えていく必要性があることを説かれた。

(4)「折り」の部会
モロッコのモハメド・アミン・スマイリ教授は、 どんな時代(たとえ情報化社会)であっても祈りの 本質は変わらないし、絶対変わってはならない。し かし、人間と自然との関係は違ってきて、変化を受 けているように思われる。そこで大事なことは、(1) 神との関係を絶対保つ(2)自己の内的な責任感を持つ ことを強調された。

 ルーマニアのメナヘム・ハコヘン・ユダヤ教ラビ は、祈りは一人一人の神の栄光のために行われ、毎 日の生活が祈りになっていかなければならないと。 そして、人間と神との約束の中で、信仰に基づいた 生活をすることによって、人間の調和を作っていく ものであると。

 ルーマニアのバージル・ペルシア司教は、祈りは 私たちの心に折りたいという心を起こさせることで ある。沈黙と調和の中で祈る。沈黙は言葉にならな いが、救いにつながるものである。だから一人で静 かに沈黙のうちに祈ることが大切であり、神に向かっ て祈るとき現実になる。利己主義をなくし祈ると、 神は一人一人に言葉をかけてくれると。

 峯岸正典師は、禅宗での「回向」は「一連の祈り のことば」であり、禅での祈りである。お経をお唱 えすることは、「仏陀の教えに戻ろう」とすることで あり、回向は、その功徳を自分だけいただくのでな く他に振り向けることである。そして、坐禅は自ら を現事実としての真如実際・仏陀に合わせ・あずけ ていく祈り、「行」であり、言葉と対象のない禅の具 体的な祈りである。つまりそれは自分に都合良く解 釈することから離れる祈りである。そして、神様が 存在するのかしないのか、神様とは一体どんな方な のかといった議論を避け、神様がこの世に最も望ま れることをこの身体でもって感じ実行することの大 切さを説かれた。

 聖エディジオ共同体のビンセンゾ・パーリァ神父 は、弱さあるがゆえに祈りがあり、人間と神との関 係の中で、神なくして存在できないのだから謙虚に ならなければならないと。

 そして、特別にフロアーからメッカから来られた 世界イスラム教会長が挨拶された。その中で、祈り は、人と人、神と人をかたく結びつけるものである。 しかし、欲望があるから神から遠ざかってしまうの だと。どの宗教も危険を含んでいるが、イスラム教 の本当の姿が特定の人たちによって折り曲げてしま われているのは大変残念なことで、原点に戻ってみ るべきであるとメッセージを残された。

4 まとめ

 この大会に参加して、私なりに感じたことをいく つか述べ、まとめとしたい。

 まず第一に、仏教の社会に対しての宗教的主体性 がいかに欠如しているのか痛切に感じた。日本では 政教分離を唱え、特に既成宗教教団は表面的には政 治面に関してはなにも語らない姿勢を固持している。 しかし、「平和」「戦争」「人権」「環境」の問題を一 つとっても政治的レベルでの問題解決が必要不可欠 である。宗教が現代の諸問題に対して積極的に関わっ ていく以上、政治に対してより一層の問題提起をし ていくべきだろう。そして、仏教者は「現代の危機」 に主体性を持って立ち向かっていかなければいけな い。だから政治と宗教はお互いに自立し、相対立し、 矛盾することなく共存していく道を模策しなければ ならないと思う。

 第二に、異文化理解の必要性を実感した。宗教と か民族、言葉の違い、衣食住などすべて文化である。 それぞれの文化の違いによって解決しない問題があっ たりするものである。たとえばパレスチナ問題一つ とってもアラブ系イスラム民族とユダヤ教のイスラ ム人との間の文化の違いが争いの火種となったりも する。人間の生き方、思考、価値観など違って当た り前のはずである。だから、共通に理解できる部分 とその文化特有のものとして理解しなければならな いものがあるということをまず前提として考えなく てはならない。特に宗教的な部分では、我々が考え ている理屈とか常識が通じない世界があるというこ とである。異文化に対する無関心・無知はいかに大 きな誤解とか差別を生むかよくよく考えなければな らない。

 第三に、宗教対話の必要性である。異文化理解を するためにはコミュニケーションは大事なことであ ることは言うまでもない。宗教の究極の目標は全人 類の幸福の実現である。平和でない争いのある世界 では、人々は幸福にはなれない。一つの宗教が他の 宗教を排他的に攻撃することを避け、すべての宗教 が手を携えて協力することが必要である。曹洞宗も 教団をあげて積極的に他宗教間での宗教協力と対話の 施策を考えていただきたいものである。

 ファイナルセレモニーはブカレスト市内の入学広 場特設会場で行われた。セレモニーの前には各宗教 ごとに市内の会場で法要を行い、それぞれ平和の祈 りの行進を行い、会場に向かった。会場には3万人 のブカレスト市民も集まり共に世界平和の実現に向 けて、「平和宣言」を発表した。アメリカ・クリント ン大統領、ヨハネ・パウロ・ローマ法王などからの メッセージ、ルーマニア大統領、主催者側の挨拶等 の後、各宗教者の代表によるキャンドルの点火でファ イナルセレモニーを終えた。



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