第14号 1999年5月10日


主な内容


開教の支えとなって
宗務総長 乙川良英

 最近、数名の方が海外より帰国され、そのご労苦の一端を伺うことができました。それぞれになかなか国内とは異なる環境の中で、まさに孤軍奮闘のご様子であり、開教に従事することが、どんなにか大変なことであろうかと、これまでにもまして強く感じた次第であります。海外開教の要は、一に開教師そのものにあると存じます。その地において開教師は宗門の全てであります。宗門の全てを代表し、教えを莚べていくのです。それには、まず自分自身がその地に定着しなければ何事も始まりません。まさに身命を惜しむことのない浄行といえます。

 ほんとうに頭の下がる思いであります。このSOTO禅インターナショナルという会は、こうした海外で活躍する人を後方から支える会で、内外の多くの僧侶ばかりでなく、関係する一般の方々も参加されているそうであり、実に心強いものを感じます。物心両面にわたる支援は、開教師の方々に大きな種となることでしょうし、なによりも精神的な文として大きな頼りとなるのではないでしょうか。

 自分のやっていることを解ってくれる人や、激励やアドバイスをしてくれる道友の存在は実に有り難いものだと思います。今後この会が、より多くの方々のご賛同を得ながら発展し、延いては、開教師の方々の支えとなってもらいたいと思います。そして、世界中の一人でも多くの方が、宗門の教えに触れて頂くことになれば幸いと、強く念ずる次第であります。


世界最大の経蔵ブッダモントン
今世紀最高の偉業南伝大蔵経の経蔵完成

横浜善光寺住職・日本パクナム会会長 黒田武志

 平成10年(1998年)12月27日から今年1月1日にかけて、私は仏教の聖地、タイ国へ、ワット・パクナムの招待を受け訪問してまいりました。インドシナ半島の中心に位置し、日本の約1.5倍の広さを持つこの国の国民の95パーセントは敬虔な仏教徒。人々の信仰心の深さには、タイを訪れるたびに感動させられます。

 ドン・ムアン空港から市街地とは反対方向に新しく完成した高速道路で30分ばかりの郊外に、2.5キロ四方の土地にブッダモントンと呼ばれる場所があります。この地は仏暦2500年(1957年)を記念して、タイ国政府と国民が一体となって、仏教関係の施設を建立発願した所であります。いったんは工事を中断したものの、その後計画は1順調に進み、半世紀の歳月をかけて、一部の建物をのぞき完成いたしました。その施設を簡単に説明しますと、土地の中心地には約16mの黄金の仏陀立像がおさめられ、その廻りには数多くの建物、仏教研究に関するセンター、瞑想、仏道センター、集会ホール、仏教博物館等完成し、今図書館が建築中であります。

 そして昨年の秋には、ワット・パクナムの力で10年の歳月をかけて今世紀最高の偉業と思われる『南伝人蔵経』の律・経・論の三蔵を大理石の板碑にきざみ、それをおさめる経蔵が完成いたし、落慶式がとり行われました。この式典に招待いただき列席いたしてまいりました。瞑想の寺ワット・パクナムの僧侶たちが、大理石の石板にパーリ語で一字一字、精根こめて手彫りし、10年間かかって完成させたものです。板碑一枚の大きさは、横1.1m縦2m、その数、表裏合わせて1418枚。2枚の大理石を振り合わせて709枚の石碑がまるで遠く続く壁のようにズラリと並び、一枚一枚に隙間なくびっしりと書かれたパーリー語の経典どれほどの忍耐と努力があったことでしょう。

 大理石の上方には、お釈迦さまの前世の物語である「ジャータカ物語」から、現代のワット・パクナムのご住職の一代記までが絵物語として鮮やかな色彩で描かれています。私は、その崇高な空間にしばらく呆然と立ちすくんでしまいました。経蔵{の板碑から、絵物語から、そして全体を包み込む聖なる空気から、ふるえるような感銘を受けていました。まるで宇宙との一体感を味わっているような……。一カ寺の発願で、このような偉業を成し遂げるとは!改めて、若き日修業した“ワット・パクナム”のすばらしさを思い起こしたのでした。

 タイ国には約25000のワット(僧院)があり、僧侶の数は20万人にのぼります。この国では一生に一度、20歳に達する男子が剃髪して得度出家し、僧侶の生活を経験する習慣があります。だいたい7月から10月までの雨期に出家する一時僧が増えるため、その数は30万人に高まることもあります。このような生活習慣がなぜあるかは後で記すとして、とにかくその膨大な数のワットの中でもワット・パクナムは、“瞑想修行のメッカ”として知られており、また、日本とタイとの仏教交流の妻ともなっているお寺なのです。私が修行いたしましたのは昭和40年(1965年)、大本山総持寺の特別僧堂第一期生としての修行を終えて、インド仏蹟巡拝に参加したその足で、同安居の石附周行師とそのままタイ国ワット・パクナムで得度、修行半活に入りました。

 ワット・パクナムは、バンコクにつぐ都市トンブリにありますが、バンコクとは少し離れた静かさをまだ持っています。私がいた頃も、川に浮かぶ船上で生活する人々がほのぼのと暮らしそいました。朝は手の平の線が見える頃に托鉢し、早朝と正午の食事以外は、瞑想と、仏教学、パーリー語学等の学習をする生活でした。寺の中に典座寮(食堂)があるのは、ワット・パクナムのロンポー(父)と呼ばれるチャオ・クン前住職(プラ・モンコン・チムニー師、独白の瞑想法の実践により、涅槃を得る道を弟子やたくさんの俗信者に伝導した)がタイで初めての大改革をしたもので、修行僧たちが托鉢に費やす時間を瞑想、修学非道にあてられるよう願いをこめて作られたのです。おかげで思う存分学ぶことができました。上座部仏教、大乗仏教の教えを越えて感じた事は、登る道は違えど頂点一真理一は一つ。“宗祖を通して釈尊に還れ”を私の宗教手活の原点とすることに決めたのでした。

 ワット・パクナムで得た尊い修行体.験を、後に続く修行者にぜひ味わってもらいたいと思い、その後、善光寺留学僧育英会を設立してからは、十数人の若き僧侶を派遣し、タイ国からも修行僧を受け入れてきました。日本とタイとの相互理解と仏教文化の交流の一環として、善光寺開創20周年記念には、プミポン陛下還暦記念に出版したタイ語パーリ人蔵経をいただきました。又、「日本文庫」を多くの方々の協力を得てワット・パクナムに開設いたしました。そして私の息子四人もワット・パクナムにご住職プラ・マハージャマンガチャラ睨下に得度していただきました。

 いつでもご住職は私をわが子のように温かく迎えてくださり、日本という国にも大変親しみを感じてくださるようになりました。大本山総持寺宝物館にあるタイの仏像は、親善の意味でワット・パクナムから贈呈されたものであり、大本山総持寺としては、当時の貫首岩本勝俊禅師が「南伝人蔵経」(昭和10年に印度学仏教学者高楠順次郎博士が国訳し禅65巻70冊)を進呈し、又、昭和50年前後4年間に約10名近くの雲納の方々が、タイ国ワット・パクナムで得度、安居いたしました。タイと日本の親睦の象徴のような「パーリ語南伝大蔵経」のすべてが、今、大理石に刻み込まれ、目の前に広がっている。感無量でありました。

 この世界最高の経蔵を包み込む「ブッダ・モントン」のスケールの大きさ、偉大さ……日本ではとても考えられないことです。タイ国民の聖なる魂が込められているということを深く感じました。仏教一仏陀の教えは、二千数百年の時を越えてもなお、当時と同じように民衆の心の中に生き続けているのです。仏陀とは、“真理に達せる人”という意味で、仏教の開祖をゴータマ・ブッダといい、釈迦族出身の聖者ということで、尊称として釈尊(釈迦牟尼世尊)と呼んでいます。釈尊は、「あらゆる存在は生滅変化して、永遠に存続するものではなく、すべてが苦であり、煩悩を断じ、真理と合一した境地、涅槃こそが理想の境地である」と説かれました。

 すべて欲望を捨て正しく生きることによって、苦の世界から解脱することができるとタイの人々は思っています。また、輪廻し来世で生まれ変わることを自然に信じていて、来世で苦しまず幸福になるために、現世で一所懸命に徳を積もうとするのです。このことをタイの人は「タンプン(積善)」(タンは積む、行う、ブンは功徳の意味)といい、小さな種が大きな樹木となるように、ささやかなりとも精一杯の供養の種を蒔けば、必ず大きな幸福が約束されることを深く信じて生きているのです。

 特に仏法僧の三宝に供養することを重視しています。タンプンの中でも最高にして最善の行いとされているのが、出家することで、男子は成人すると出家する習慣があるのはそのためなのです。女性は「メーチ」と呼ばれる女子修行者にはなれても出家して僧侶となることはできないため、托鉢僧に喜捨することでタンプンします。

 施しを与えるというのではなく、「タンプンさせていただき救われました。心から感謝いたします。」という気持ちの持ち方が、どれほどタイの社会を穏やかに、心豊かにし、人々の目を輝かしていることだろう。そして、こうした国中の人々の心が一つになったからこそ、「ブッダ・モントン」が完成に至ったものと信じています。12月29日の式典には、タイ国の高僧500人、31日にも僧侶500人と数千人の在家信者が集まり、ブッダ・モントンの南伝大蔵経経蔵の完成を祝いました。人々の純粋な喜びの波動が私の心にじかに伝わってまいりました。

 この国には、釈尊の魂がそのまま生きている。それをまざまざと感じさせられた一瞬でした。私たち日本人は、すばらしい偉業を成し遂げたすばらしいタイの人々と共に、釈尊の教えを後世に伝えたい。今を生きる私たちの一番大切な使命であると、経蔵内の板碑を前にして、あらためて胸に刻みこんだのでした。


『宗教をとおした異文化理解』ダイジェスト
宗教考現研究所所長 此経啓助

 今朝の朝日新聞の記事にも、「インドネシアの華僑の人たちにとって、旧正月を祝うため寺院に参拝することは重要なことであるが、イスラムとの宗教戦争といえるような状況が去年から続きぶっそうであるため、今年は参拝に行く人が半減した。」とか、「クルド人がヨーロッパの大使館を占拠した。」などの記事を見つけることができました。このように、海外の異文化を理解する上で、宗教というものを無視することができない時代になってきていると思われます。宗教とか文化というものの定義は非常に難しく、私もどのように扱ってよいのか良く分かりません。

 宗教学者の岸本英夫先生はその著書『宗教と人間』の中で、「宗教とは、だ円形的な性格を持っている。」と例えています。つまり、だ円形を縦に置いたようなものであり、“上の重心、下の重心”という二つの重心を持つものであるとしています。そして、上の重心というものは、形而上学的なものっまり神学とか教学とかいうものを扱っており、下の重心とは人間の営み、つまり宗教とは人間の生活においてどのような役割を担っているのかというものを扱っているとしています。そして、岸本先生は、現代のように世俗化が進み人々が宗教を信じることが難しくなってきた時代においては、下の重心、つまりいったい宗教が人問にとってどのような意味を持つのか考えていかなければならなくなってきているとされています。

 私も同様に感じています。そして、これ1は私の意見ですが、下の重心というものは、文化の領域というものと非常に重なりあうものだと思います。その場合、宗教と文化というものは、非常に未分化のものであり、文化というものは様々な人間の生活様式を表しています。例えば、お墓参りは宗教的行動であるとともに、文化的行動であるともいえます。

 そして今日は、下の重心というものに焦点を当てていきたいと思います。ところで、若手文化人類学者の土佐昌樹氏の『インターネットと宗教』という本が岩波書店から出版されています。一般に、文化人類学の立場で宗教を考える場合重要なことは“共感(共に感じる)”であるとされます。別の言葉では、相手の宗教的現象を内側から捕らえる、とも言えます。このように、相手の日常生活の中に入って、宗教的要素を観察した場合は、“宗教の静かな顔”を理解することができます。しかし、宗教には“荒々しい顔”という要素もあり、最近では世界各地でそれがクローズアップされています。このような側面には、共に生活してみても中々出くわすことはありません。

 この荒々しい顔をつかむ方法としては、事件報道やニュースを通じてということになります。この本の著者は、宗教というものを理解する上で“共感的アプローチ”を補完するためにジャーナリスティック的方法を提案しています。つまり、事件報道を通じてではないと、宗教の荒々しい顔というものは、なかなか見えてきません。

 このような事件報道では、宗教は“共感”ではなく“観察”され、批判的に扱われます。また、事件が起きた場合、集団問の関係、その境界が問題になります。そこで先の本の著者はこのような手法を“境界的アプローチ”と名付けています。

 今日は、このような共感的アプローチと境界的アプローチという二つの立場から宗教を捕らえなおしていきたいと思います。では共感的アプローチから宗教を考えた場合の一例をあげたいと思います。私にはインドで生活していた時期があります。

 その時、私はインド人の宗教的生活に好奇心を持ち、共感することができました。このような場合、宗教は理性を通じてではなく、耳などといった五感を通して受け入れられます。そして、その素晴らしさ、美しさは宗教的であると同時に、文化的創造力を感じさせるものでした。数学者であると共に、エッセイストでもある藤原正彦氏の著書に『心の孤独な数学者』(新潮杜)というものがあります。

 これは、3人の数学者の伝記ですが、その中に、インドのマドラス地方の信仰深い天才数学者ラマルジャンの話があります。そして、マドラス地方はその他にも多くの有名な数学者を輩出しています。この理由として、信仰と数学の結びつきが考えられます。この地方では、2桁や3桁の九九算の暗記が行われていますが、それは、文学的神話として暗記されます。これは下の重心の中では、文化的創造力と宗教が密接に関係していることを示す一例だと思います。

 しかし、このような、宗教に対する共感、好奇心を持続させていくには、宗教的関心、宗教的知識も必要とされるでしょう。次に境界的アプローチを考えてみたいと思います。インドにはブッダガヤという仏教の聖地があり、ここに仏陀を祀った大塔があります。数年前この大塔を管理しているのは、ヒンズー教の高僧でした。そして布施の横領をしているのではないかという疑惑がありました。また、その管理そのものを仏教徒の手に戻そうという運動があります。事実このような内容の報道がありましたが、この場合、それに関連するインド全体の仏教事情や人権問題に触れていても、地元の事情は報道されていませんでした。ジャーナリスティック的アプローチでは、情報にそのような部分が抜け落ちている場合があるので注意が必要です。

 しかし、常に注意を払っていれば、共感的アプローチより全体的なことに目を向けやすいともいえます。また、宗教情報は様々な媒体を通じて提供されているため、その数は非常に多く、すべてに目を通すことは困難です。現在日木では、宗教情報リサーチセンターというものがあり、宗教情報を収集している機関もあります。しかし、膨大な数の宗教情報を使った新しい宗教研究の方法は、多くの宗教学者か模索している最中です。先に紹介した『インターネットと宗教』では、筆者はインターネットからの情報を利用して、アメリカの宗教事情、特にカルトなどといったキリスト教文化の下に位置する宗教の分析を試みています。最後に、異文化理解ということに対してひとつ提言したいことがあります。

 それは、異文化といった場合、海外に口を向けがちになり易いですが、日本の仏教自身が明治維新以後、非常にいびつな形になっており、その中に潜む異文化というものにも目を向ける必要がるのではないかということです。この問題を考えるとき参考になる著書として、中村健之介氏の『宣教師ニコライと明冶日本』(岩波新書)があります。

 ニコライはロシア正教を日本に伝えようとしました。ロシア正教は近代的な改革を経ておらず、非常に古いタイプの宗教です。ニコライ自身は、日本に来るまで、プロテスタントとの相違点をあまり考えていませんでした。しかし、彼は、プロテスタントとの牧師が宗教を科学的合理性に適合させようとしているのをみて嘆きます。

 そして、日本人にも早く西洋に追い行こうとして、西欧的科学合理主義を積極的に受け入れていこうとする傾向を強く感じます。彼にとって、宗教とはイデオロギーではなく実践するものでした。つまり宗教の下の重心を重視していました。

 しかし現在の日本においては、神や仏が実在するかどうかを理論的に説明しようとしたり、宗教を頭で理解しようとする傾向が強く、宗教の下の重心を軽視する傾向がみられます。しかしこれは、フランス啓蒙主義の影響であり、ここ100年の傾向であるにすぎません。このように、自分の文化の構造は、自己の文化に潜む異文化ということにも目を向けていく必要があるのではないでしょうか。


大正寺80周年レポート
ハワイ・マウイ島満徳寺開教師大谷有為

 去る1998年10月18日、ハワイ島ヒロにてヒロ大正寺80周年の記念法要が厳修されました。法要当日は、開山歴住報恩回向、檀信徒総回向そして80周年慶賛法要と3つの法要が大正寺で行われた後、会場をヒロ・ハワイアンホテルに移し、祝賀ランチョンが盛大に催されました。そして、この法要には、ハワイ開教総監・町田時保老師はじめ、ハワイ全島の開教師、また日本や米本土からも多数の来賓が参集されました。現在のヒロ大正寺開教師の吉田宏得先生は大正寺12世として、5年前に大正寺に着任されました。

 以後、日本と異なる文化・環境、そして日本にはないメンバー構成等の中から協調・和合を得、ハワイならではの布教ラインを確実に推し進めていらっしゃいます。昨今、ハワイに限らず、海外開教が転機を迎えているといわれることの根源のひとつは、主要なメンバーが日系2世・3世の日本語の理解できる世代から、3世・4世そして5世の英語でものを考え、発想する世代へと移り変わってきていることです。

 この世代の転換期には、必然的にジェネレーションギャップが生じます。今回のヒロ大正寺80周年の準備段階においては、教団内、またメンバー間のこのギャップをいかに埋めていくかということも主眼のひとつにおかれていたようです。こういった根本的な考え方の違いや世代の差において、どのようなことが理解されにくくなっているのか、また、アメリカ合衆国自体の外国人居住者に対する考え方の変化などにも焦点を当て、吉田先生に具体的なお話をお聞きすることができましたので、以下に現状を問題点として、ご報告させていただきたいと思います。

 1.教団と開教師の関係教団と開教師の関係は、日本から開教師を派遣してもらう手続き上、雇用者と被雇用者という便宜的な関係をとっている。この経緯・背景が正確に伝達されていないため、便宜的な書類上の関係というものが、特に英語で教育を受け、契約社会で育った若い世代のメンバーには理解されない。そのため、布教上の行動に制限が生じることがある。

 2.日本への依存性海外寺院は寺籍番号をもたない。そして、なおかつ日本の一般寺院とは異なり特別寺院に属している。よって、宗費を収めていない。しかし、多くのメンバーがこういった背景を理解、把握していないため、日本の曹洞宗として宗門自体が、ハワイ曹洞宗を援助するのが当然であるという考えが存在する。例えば、近年の開教師の赴任・帰国を例にとってみれば、 宗門が費用全般を面倒見る必要があるという意識が強い。だが、宗門から開教師に支給される補助金には限りがあるため、開教師が自費で動かざるを得なくなっている。

 3.徒弟の育成について開教師の徒弟が宗門行持を見学また、実習する機会が皆無に等しい。ハワイにおいては、特にハワイ式という簡略化された行持のため、曹洞宗特有の威儀即仏法を象徴する厳密な法要を体験できない。また、弁事や立職の役を勤める機会や場もなく、徒弟として踏まえるべき階段を上りながらの成長が困難である。開教師の在任期間の長期化、徒弟の成長に比例してこの問題は大きくなる。

 4.永住権・VlSAについて現在のアメリカ合衆国においては、永住権を取得するのは非常に困難なのが現状である。開教師が赴任する際のビザはR1(Type-ReligiousWorkers,Class-1)というもので、期間は通常2年から3年、その後延長を含めても合計5年までしか滞在許可がおりない。このR1ビザで入国した開教師(宗教活動家)は、その目的である宗教活動以外の雇用につくことはできない。また、その配偶者が取得するビザはR2というもので、このビザでの労働は許可されない。そのため、1家庭でもち得る仕事の数が必然的に1つに制限される。(ハワイ州においては、1家庭で2つないしは3つ以上の仕事をもつ家庭が多い。)

 以上、簡単にご報告させていただきましたが、このような問題はハワイ全体また、多くの海外寺院にも少なからず、当てはまるところがあるのではないでしょうか。そして、どの問題もすぐに解決できるような、単純なものではないといえると思います。

 また、今ここにあげた問題以外にも、島人口の減少、高齢化、また、日本の景気停滞の影響を受けたハワイ観光産業の低迷等、深刻な問題が数多く滞留しているのが現状です。ハワイ曹洞宗でも、開教師会議において上記の問題はもとより、町田総監より、日系社会の教化の方向、日系寺院教化活動・活性化についての具体案、さらには、メインランドとハワイの関係をどのようにしていくか、禅センターの在り方などについて様々な提言がなされ、力を入れて取り組もうとしております。来る2003年にはハワイ開教は100周年を迎えます。

 海外在住日系人への布教のみならず、曹洞禅を志向する現地参禅者への布教の必要性は叫ばれて久しいですが、それだけに専心することなく、この機に今一度、宗門海外開教の在り方、将来像を見つめ直し、それに見合った策を構築し、実践していくことが必要とされております。


ワークショップINFUKUSHIMA
葉貫成悟師・古渓理哉師帰国慰労会並びにサンフランシスコ日米宗教連盟との交流会を開催

福島県 天徳寺住職 細川正善

 10月26・27日の両日にわたり紅葉冴え渡る秋の陸奥、福島県猪苗代町を会場にワークショップが開催された。

 午後2時より葉貫成悟・古渓理哉両師の帰朝報告があり、それぞれの開教地の布教現状報告がなされた。初めに1993年2月より1998年7月辞任までの5年間にわたる米国ハワイ・マウイ島満徳寺主任開教師葉質成悟師(現福島県安達郡本宮町石雲寺副住職)による現地の開教報告がなされ特に、同地区における法要・行事の英語による布教の現状と言葉(文化)の相違による解釈の限界と早急なテキストの整備統一が急務であることを指摘報告した。

 次に、1995年より1998年7月まで米国カリフォルニア・ロサンゼルス禅宗寺別院駐在開教師と1997年4月に開設された北米開教センター書記として歴任した古渓理哉師(群馬県碓氷郡井田町雲門寺住職)が北米各開教75年(ハワイ開教90年)を迎え現地における開教の問題と総監部の今後の展開を示唆し、更に、新総監部・開教センターの課題として「北アメリカにおける曹洞宗系寺院、各禅センターの管理統轄、行政指導を司ることの出来る機関の構築」と題し報告がなされた。

 最後に、早急なる教典翻訳事業の推進と、機構改革が訴えられた。これらの点は以前より関係各位より指摘討議されていたが機が熟さず今日まで棚上げされてきた。しかし近年宗務庁にても審議中であり、現在次世代に向け有識者各位の意見をまとめている最中である。帰国基調講演後、有志による帰国慰労会が開催され二人の長年にわたる開教の労をねぎらった。

 翌日は、サンフランシスコ日米宗教連盟の訪日団(仏教、キリスト教、神道の11団体により構成されている宗教福祉事業団体)11名とSZI会員、地元宗門関係者約40名による交流会研修会が開催された。まず、松永会長による挨拶と、参加者の紹介が行われた後、連盟を代表して会長の佐々木千祥師(サンフランシスコ仏教会=浄土真宗西本願寺派)、副団長の中曽根ロン博士(カリフォルニアパセフィクスクール宗教学科)とSZIを代表し松永然道会長、藤川享胤副会長等をモデレーターとして進行した。

 互いに違う文化圏での布教の実態と教えの受け止め方に討議が白熱し、更に臓器移植について各宗教の見解相違点が議論され建設的な意見が交換された。しかし乍、短い時間の中では充分にお互いの意を尽くすことは出来なかったが今後の課題としてお互いに研鐙すべき実り多い研修会であった。最後にこの問題に対し各宗教における統一見解は見いだせるべくもないが、参加者の一人であったキリスト教の牧師が興味深い質問をした。

 現在アメリカにおいて行われている臓器移植臨床にも盛んに宗教者もかかわり、それらの立場から提供者、受け入れ者双方のサポートもしているが、ある事例を挙げ「臓器移植を受けた患者が術後、提供者の意思(業・輪廻)を感じることがあり苦しんでいる」。

 このことについて仏教ではどのように意思(業・輪廻)解釈指導するのか?と質問され、討議後、総括として副会長の藤川師が「釈尊が説かれた教えは業・輪廻からの解脱であるが、現在に生きる仏教者としてもし自分がその立場であれば、この世に縁を頂き生まれた日を最初の第一の誕生日とするなら、提供を受けたその日を第二の私の誕年日とし、その提供者の業をも我が(生命)事として受け止めながら修行を重ね生きて行くのが仏教徒の道である。」と締めくくり参加者一同大いなる確信と課題を抱きながら閉会した。


ベナージュ大円師来日夕食会レポート

 1月18日、有楽町マリオンにおける曹洞宗宗務庁主催「禅を聞く会」(1月19日)の講師として来日されたベナージュ大円師の歓迎会がSZI主催により仏教伝道センター内の中国素菜料理「菩提樹」において開催された。

 大円師は翌日に控えた講演のため少し緊張した面持ちであったが、洞外教化部長老師をはじめとする30人余の出席者の中、講師として招かれたことに対する感謝の意を述べられた。その後の夕食会においても、海外布教に関する活発な意見交換が行われた。


三好晃一老師帰国慰労会&板垣光昭師壮行会

 2月16日、東京グランドホテルにおいて、SZI主催「三好晃一老師帰国慰労会・板垣光昭師壮行会」が開催され、洞外教化部長老師、大谷哲夫駒沢大学副学長をはじめとして、40人余が出席した。三好老師は20年以上に渡るハワイ布教の感想を述べられる際、海外布教における寺族の苦労と、その重要性について強調された。

 そして、板垣師は新たに開教師として赴任するにあたっての、決意と抱負を述べられた。その後、懇親会がもたれたが、懐かしい話は途切れることがなかった。


Return