第2号 1994年4月15日


主な内容
開教をふりかえり
大本山総持寺後堂(元ハワイ総監) 大山興隆

 疾いもので、当会が発足して一年になる。私は創立発会式のときも出席したので、このような会ができたことに、感慨無量なものを憶える一人です。
 私は昭和五十年(一九七五)四月から六年間、ハワイ開教地で布教に従い、八一年四月帰国、そのまま総持寺に再安居し、間もなく十三年になります。曹洞宗のハワイ開教は、明治三六年(一九〇三)広島県出身の河原仙英・菅良雲両師の渡布に始まるので、九一年になる。

 ハワイは砂糖耕地またパイナップル耕地労働の働き手、つまり労働移民として明治元年(一八六八)の草分け移民以来、多くの日本人が渡ったことに始まります。
 その後、家族呼び寄せがあったり、子供のための日本語学校ができたり、僧侶の布教教化には、本願寺を始め浄土・真言・日蓮など仏教各宗から布教師が派遣されたのです。
 わが宗の渡布は、決して早い方ではなかったが、現在開教寺院は十ヵ寺、開教師の皆さんが日夜に精進努力されています。
 ハワイのことのみ記しては申訳ないが、北米も南米も、日系移民が入った時期が遅く、少しづつ開教もおくれたのは、日系人を対象に布教されたことによると思われる。

 ご承知の如く現在、在日の外国人は百数十万人といわれている。
 百年程已前から労働移民として日本人が、ハワイ・北米また南米などに渡ったことを憶わずには居りれない。
 これらの人びとは、いろいろな仕事をもち、それぞれの宗教をもって生活している。そのうちには仏のさしのべる手を俟ち望んでいるものもいよう。この会が、いろいろな意味で、情報を交換し、ボランティアの役割を担うことができれば幸であると思う。人びとのねがいを適える努力などおこがましくもあるが、大切なつとめであろう。


海外(異文化)への伝道には、まず「異文化間コミュニケーション」の視点の確立を
山形県宝泉寺住職 采川道昭

 弁道話のお示しに「この法は、人人の分上にゆたかにそなはれりといへども、いまだ修せざるにはあらはれず、證せざるにはうることなし」とあります。また学道用心集には、「須らく自 己本道中に在りて、迷惑せず、妄想せず、顛倒せず、増減なく、 誤謬なしということを信ずべし」とあります。あるいは普勧坐禅儀に「道本円通云々」とあり、 本来仏徳の備わった我々であることに目覚めるのが仏道の正道 であることが、仏典祖禄の至る所に示されております。

 正法を伝えるということは、まさにこの本来備わっている仏 徳に目覚めさせることでありますから、言葉では、「伝える」 とか「伝授する」とか表現しても、何かを伝える訳ではなく、 逆に伝えたり伝えられるものは何もなかったことに目覚めさせ る事であります。

 このことを我々は伝えて来たのでありますが、その様子を 「本宗は、釈迦牟尼仏から以心伝心正法を嫡嗣し、歴代の諸祖 が相続不断に継承して来た云々」 (曹洞宗宗憲第一章第二条)と表現しているのであります。正 法が民族や言語を越えて人類普遍の宝であるゆえんがここにあ ることは言うまでもありません。

 しかしながら正法の相続にはどうしても正法の部分の他に法 式作法や清規、すなわち文化といわれるもの(文化、Culture= 生活様式、way of life)が付随することは必定であります。 それは、曹洞宗宗憲にある「禅戒一如、修証不二の妙諦を実践 することを教義の大綱とする」を持ち出すまでもなく、必ず修 証という実践、生きた宗教活動が伴うからであります。

 正法は、民族や言語や文化をも越えた真理であるはずのもの であるのに、この文化という部分で多くの人は越えきれないも のを残しているのではないでしょうか。「外国の人には禅は解ら ないでしょう。」という発言が出てくるのも、この文化という 部分で引っ掛かっているからではないでしょうか。その引っ掛 かりの原因は文化(形式)が正法(内容)と同じく不変のもの であるかのように誤解しているからではないでしょうか。そう して、不変絶対のものであるかのように海外(異文化)の人達 に伝えようとする意識が働いているからではないでしょうか。

 我々が現在行っている法式作法はインドにその淵源を探るこ とができますが、中国においては中国風に変容しましたし、そ れを受け継いだ日本も日本風に変容しています。(アカルチュ レーション,文化変容)つまり現在我々が行じている 法式作法にしても先輩中国のそれを忠実に受け継いでいる訳で はなく、日本流に変容したものであります。そればかりでなく 国内においても時代とともに変化させて来たことを認識すべき であります。

 例えば、読経の仕方ですが、中国では法堂においては立誦で あります(庫院での供養は椅子)日本では仏祖に対しては立誦で すが、坐誦という誠経もあり、その正座という座法は日本独特 のものであります。この『座もたかだか百年位前から何やら正 式な座法の地位を占めて来たものであることは周知のことであ ります。つまり昔は胡座で諷経をしていたのであります。この ように日本風に変容し、さらに時代と共に変化して来ておりま す。近年西洋風の生活が多く取り入れられてきたこともあって、 導師以外の僧侶も椅子に腰掛けて諷経することもあります。つ まり読経の仕方ひとつを取ってみてもこれまで変化してきたし、 現在も変化し続けているのであります。これは読経の仕方ひと つについても比較したり優劣をつけたりすることが出来ないと いうことも示しています。

 我が宗門は、「人権、平和、環境」を施策の基本に据えてグ ローバルな宗団を目指していま す。『法という人類普遍の原理 (至宝)を継承して来た訳です から実践の面でも世界に通用す るように努力していることは周 知のことであります。その世界 性に不可欠なものの一つが上記 論じて来た文化の面に対する認 識であります。法式作法も含め て文化は固定的なものではない、 また文化どうしを比較して優劣 をつけることは出来ないという 認識が大切であります。

 この文化の面に対する認識を誤ると、 日本文化に対する誇りを通り越して優位性を主張したり奢りを 抱いたりすることになりかねません。そうなると欧米諸国からばかり でなく、仏教において先輩であ る近隣諸国からも差別意識とし て非難されることになります。

 わたしたちは、教学、文化を ひっくるめて「仏教は、インド で発生し、中国で発展し日本で 花開いた」という散漫な意識を いまだに抱いています。インド や中国の人でなくとも差別意識 としてその傲慢さを指摘する程 です。(最近の教学では先輩中 国さえも否定する更なる傲慢さ を露にしたものがあることは周 知のことであります)

 それに対し、外国の人々は曹 洞宗に連なる人ですら決してそ うは思っていないことを認識す べきであります。「花開いた」 という言葉を使えば「インドに おいてはインドの花が、中国に おいては中国の花が、日本にお いては日本の花が花開いたので あり、そしてアメリカにおいて はアメリカの花がスペインにお いてはスペインの花が…花開こ うとしている、それは花の美し さというものを比較することが 出来ないように比較を絶してい る」と捉えています。

 それは同時に、「どの国もどの仏教文化 も完結しながらしかも途上であ る、つまり伝灯祖師でつながり 釈迦牟尼仏に直結している」と 捉えています。この方が仏法の 神髄を示した血脈の精神から見 ても当を得た認識であります。

 異文化を尊重する上述の視点 に照らして、坐禅の仕方につい て申せば、坐禅のとき「足袋や くつ下は絶対につけないように」 という主張がありますが、我が 国では(文化として)概ねこう するという程度に止め、これが 正法だなどとは主張しない方が よいでしょう。法服についても 日本と気候風土が大変異なる国 においては、我が国の規定では 大変無理が生じるのでその点も 海外に対しては寛容でなければ ならないと思います。 実際真夏 の接心には着物や直綴をつけな いで素肌に直接お袈裟を付けて 坐禅しているグループもありま す。

 最近は椅子坐禅も普及してき ましたので、「結跏趺坐でなけ れば正法の体現ではない」とい う人は少なくなってきたことと 思います。欧米では概に結跏趺 坐や半跏趺坐ができない人の為 に坐禅用の椅子が用いられてお ります。つまり単の上で座椅子 (セイザベンチ)を使った形の 正座で坐禅をすることができる ようになっています。また単そ のものの一部に穴が開くように なっていて、そこに足を下ろし て腰掛ける形の坐禅や行鉢を行 える禅堂もあります(シャスタ アべ)。

 日本でもようやく足の 不自由な人にも坐禅の機会が与 えられるようになったわけです が、形式よりも内容に重きを置 いてきたならばもっと早くから 普及したのではないかと思われ ます。

 坐禅のついでに弁道について 述べます、「僧堂がなければ正 式の弁道ができない」という主 張があります。つまり坐禅ばか りでなく睡眠も食事をとるのも 僧堂という一堂において行持し なければ正式の弁道ではない。 と主張するものですが、高祖様 の頃の中国では僧堂の形式をとっ ていましたが、帰朝後間もなく 坐禅堂と寝堂と斎堂に別けた弁 道が多く行われるようになりま した。

 現在多くの専門僧堂では、 普段は僧堂では坐禅と就寝を行 鉢は庫院で行うことが多いので はないでしょうか。欧米では接 心のとき以外は就寝も各寮舎で おこなうことが多いようです。 これも文化の違いであり、これ によって弁道の真偽を測る訳に は参りません。

 弁道の真偽は、日常どれだけ 無我に徹することができるか、 無我を身をもって行じてゆくこ とができるかにあり、道場の設 備や作法(文化)の違いによる ものではないことを考えあわせ ると、文化的側面に対して、よ り大きな心で捉えることができ ると思います。

 そのことで最近注目にあたい することがあります。それは平 成六年四月七日から七月六日ま で開催される予定の師家養成所 の開設場所であります。浜松市 にある曹洞宗宗立専修道場新豊 院で開設されることが発表され ておりますが〈平成五年十月号 宗報)、新豊院には僧堂はおる か坐禅堂もありません。多分坐 禅は一般寺院でのそれのように、 法堂を禅堂に見立てて行い、行 鉢も庫院で行うことでありましょ う。就寝も各寮舎でということ になるでしょう。

 曹洞宗の師家 を養成する開催場所が一般寺院 と全く変わらない設備しかない わけですが、これで十分の弁道 ができるとする本庁(内局)の 見解はまさに上述してきたこと と一致いたします。弁道という ものが、設備や形式ではないこ とを、また設備からおのずと制 限される作法ではないことをこ れ程はっきりと示した見識は高 く高く評価すべきものであります。

 この見識があれば、二十一 世紀を目指し、海外(異文化) の人々とも文化の障壁を越え、 共に手を携えて正法の興隆を願 い、誓願成就に向うことが出来 ると存じます。海外においても 曹洞宗の未来が明るいものであ ると存じます。


この人
元北米ロスアンゼルス禅宗寺駐在開教師 愛知県宝珠寺住職 永井成典

 永井成典師は、愛知県の知多 半島の先端にある宝珠寺の住職 として、また有料老人ホーム 「南知多荘」の経営者として、 ユニークな活動を展開している。

 大学卒業後、ロスアンゼルス 禅宗寺開教師として四年間、日 系の人達に布教してこられた。 海外の地では日本みたいな檀家 制度はないので、いかに寺のメ ンバーとのコミュニケーション へ心のふれあい)が大切か身を もって学んできたという。特に 引退者ホームやナーシングホー ムへの慰問は、サンデースクー ル、坐禅会、法要等と同様に大 事な務めで、現在の老人ホーム 経営でも役立っているという。

 この有料老人ホームは、昭和 三十年に成典師のご両親が愛知 県ではじめて開設されたもの。 ここのホームの特徴は、入居者 は年齢制限もなく、国籍、宗教 も問わないまさにボーダレス、 またこれと言った堅苦しい規則 もなく誠に居心地のよい所であ る。驚くことに、従業員と呼ば れる人はなく、奥さんの佳代さ んが全員の食事を受けもってい るとのこと。手がまわらないこ ともあるそうだが、五人の子供 をはじめお年寄りも皆助け合っ て暮らしている。老人ホームと いうより、大家族そのものであ る。ちなみに現在の入荘者は20名。

 平成三年十月十八日、境内に たわしでゴシゴシこすって無病 息災を祈る「洗い観音」が建立 された。これを機に毎月十八日 縁日が開かれるようになり、今 では口コミで全国各地から参拝 者があとを断たない。

 この縁日には、ホームのお年 寄りたちが自発的に、お茶やだ んご、たこ焼き、甘酒の屋台を 出し、無料で参拝する人達へ 「こころのおもてなし」をして いる。経費はお賽銭で賄ってい るそうだ。

 永井住職は、「縁日がこれほ どホームの人達に、やりがいを 与えたとは意外であった。外の 人達と会話する機会は大事なこ とで、今後は地域のお年寄りが もっと多く訪れて高齢者同士の 交流の輪が広がっていけば」と。 そして最後に「お年寄りが人間 として生きている実感が持てる ようお手伝いさせていただいて います」と笑顔で語られた中に 永井師の人柄、そして寺のあり 方、ホームのあり方を感じ、ま た今忘れかけている一番大事な 人間味のある暖かさ、心のふれ あいを感じるひとときでした。


アメリカに見る宗門活動の一風景
山形県・乗慶院住職 五十嵐 卓三

 「これまで長い間対立的に考 えられていた東西両洋の文化も、 人類の文化として交流し一本に 融合して人類の文化、世界の文 化として、文字通り世界史の時 代に進展しつつあるように思う」 ([教化研修]創刊号・昭和三十 二年一月一日発行)と述べられ たのは、元駒沢大学総長・衛藤 即応先生であった。

 そしてまた、 一果たして、日本仏教は澎湃と して興る此の時代の伸展に即応 して、仏教を人類の宗教として 国際的伝道に立ち上がるだけの 用意と実力とを有しているであ ろうか」と新たな時代認識を持 つよう問題提起された。 そして、 「曹洞宗にとって宗学研究所と 教化研修所は、宗門伝道の車の 両輪である」とこの二つの機関 の存在意識を強調したのであっ た。

 今や、日本仏教、特に禅は欧 米人に広く受け入れられるよう になった。アメリカの著名 な神学者で「世俗都市」 「民衆宗教の時代」の翻訳 によっても知られるハー ヴィー・コックス氏は、「か つては、東洋哲学に関心を 持つ層といえばほとんど が知識人に限られ、しかも、 大概は信仰の実践にでは なく、その思想に注意が向 けられていた。

 ところが、 今では数多くの人々が参 加しているばかりか、彼ら の関心は教義よりもむし ろ、その宗教的実践に向け られているのだ」(東洋へ− 現代アメリカ精神の旅‐上野圭 一訳 平河出版社 一九七九年) と、当時の状況を述べているよ うに、宗門の海外開教師も欧米 人に対して積極的な禅布教を展 開していった時代であった。

 アメリカについて言えば、その代 表的な一人に、ロスアンゼルス 禅センターを主宰している前角 博雄師がいる。 師は昭和三十年北米開教師と してロスアンゼルスに赴任し、 その十年後アメリカ人に対する 禅の伝道に踏み切った。それは 坐禅の実践と全米の主要な大学 図書館を通した文書伝道にあっ た。すでに三十年に及ぶ師の禅 の伝道は、十指を数える勝れた 弟子たちを中心にアメリカ全域 にわたって確実に花を咲かせて いる。そして今、「黒田研究所」 を設立し、アメリカの多くの仏 教学者の参加を得て、「摩訶止 観」の英訳、「中世日本の曹洞 禅」の出版等と文書伝道の実を あげている。

 また、禅の実践面 では、[ロスアンゼルス・マウン テン・センター]の建立を目指 して、すでに入手した十八万坪 の広大な土地に僧堂、食堂など の建立を実現し、いよいよ仏殿、 法堂、そして衆寮の建立に着手 する段階を迎えている。さらに 師は、イタリヤ禅協会、パリに 建立されたヨーロッパ袈裟研究 協会等との積極的な交流を進め ようとしている。

 他方、シアトルでは昭和二十 九年にハワイ開教師として赴任 した市村承秉師が、後に東洋学− インド仏教学の研究に入り現在 バークレー仏教研究所付属教授 として活躍しているが、ここ数 年来 「永平清規」「瑩山清規」 の英訳に取りかかり、すでにそ の完訳を実現するに至った。そ こでこれを機に、北米総監・山 下顕光師、前角博雄師を理事に 迎え 「北米禅仏教学研究所」を 設立、今春ワシントン州から正 式にその法人許可を手にするこ とができた。

 そして現在、師は 各関係者の了解と協力を得て、 衛藤即応先生の精魂の書「宗祖 としての道元禅師」「正法眼蔵 研究序説」の英訳、一代記念事 業として大修館発行の「禅学大 辞典」の英訳版にも意欲を燃や している。

 思うに、前角、市村両師は共 に四十年にわたる在米活動の中 で、いま大輪の花を咲かせよう としている。そして、この発願 が宗門伝道の[車の両輪]とし て、アメリカの大地を走りゆく 芽生えであることを宗門人の一 人として心から願い、両師の大 願成就を切に期待したいもので ある。


真珠山大平寺創立七十五周年 慶讃法要と記念講演を終えて
駒沢大学教授 小笠原 隆元

 昭和十六年師走八日(アメリ カでは七日)にはじまった日米 戦争の歴史的地点、パールハー バー、真珠湾を望む所に曹洞宗 アイ工ア・太平寺がある。欧州 で第一次大戦が終了した年、一 九一八年にアイエア地区の砂糖 きび農場で移住以来、甘くはな い生活、労働条件下で苦労する 日系移民により、日本への郷愁 と心の依り所、亡き人々への供 養等の為に「真珠山太平寺」が 開創された。その後の日米関係 の変遷の中でも護持されて、昨 年十月二十三・二十四両日にわ たり創立七十五周年記念慶讃法 要が現住七世住職・主任開教師 篠田一法師と檀信徒会員達の一 大精進により挙行されました。

 今回のハワイ行きは日程調整 上から困難であったが、篠田師 が駒大在学中からの受講生で教 研でも受講生、さらに結婚の仲 人役までしているので、万障繰 り合わせて来布し、記念晩餐会 で英語講演スピーチをせよとの ことでもあったので、十九年ぶ りぐらいで二度目のハワイ行き を決行し、二十四日朝到着して 諸行事に参加し、シェラトンワ イキキホテルでの記念会で三十 分程英語による講演をさせてい ただき、翌日は町田時保先生に 御案内いただいて駒沢大学と協 定校であるハワイ大学・宗教学 部を訪問し、タナべ教授と面談 後、ハワイ曹洞宗別院・正法寺 へ拝登して松浦総監御夫妻、町 田先生御夫妻と面談してホテル に帰る。

 二泊したホテルは、日 本人団体客などが充満し、ワイ キキの浜辺までほんの百米もな い所なのに、部屋の窓から浜辺 を見ただけで名古屋空港へとん ぼ帰りとなりました。ちなみに、ハワイ各地には曹 洞宗のお寺が十ヶ所に十ヶ寺も あります。


力ウアイ禅宗寺 創立九十周年記念法要に参加して
静岡県法幢寺住職 秋 田 新 隆

 昨年十一月十四日、ハワイ曹 洞宗禅宗寺(カワアイ島)太陽 寺(オアフ島ワイパフ)が、菅 良雲師、河原仙英師によって創 建されてより九十年目にあたり その慶讃法要と先亡開教師、檀 信徒総供養、及び平和祈願法要 がカウアイ禅宗寺において挙行 された。

 十三日には、アワトリガーホ テルを会場に、第四十六回ハワ イ曹洞宗協会代議員会が行われ、 「ハワイ曹洞宗ブデズム開教百 年に向って」の分科会が"Pure&Simple Life" のテーマのもとに、六つの部会に別れてお こなわれた。

@日常の信仰について
A仏教徒の家庭生活について
Bお守でのメンバーの役割と責任について
Cお寺と地域社会-お寺の役割について
D今後必要とされる開教師について
Eハワイの特徴を生かし今後の曹洞禅を考える。

 両日とも快晴に恵まれ、松浦 玉英総監老師をはじめ、各島開 教師、YBA(青年仏教会)、日 本からも大谷哲夫駒沢大学教授 ほか十数名の参列があり、盛大 裡に円成した。

 しかし、分科会では今後のハ ワイ仏教について厳しい意見が 出され、その対策が早急になさ れる必要を感じた。


二十周年を迎え 新たな決意を!
ミネソタ禅センター主管 奥村正博

 ミネソタ禅センターは一九七 二年に設立されましたが、一九 九〇年に創立者であり指導者で あった片桐老師がガンで遷化さ れるという試練に出会いました。 しかしその後も困難の中で坐禅 修業はたゆまず続けられてきま した。私は、老師の遺弟のどな たかが後を継ぐ準備が整うまで 三年間ということで、昨年八月 に当地に参りました。

 禅センターの活動は、日曜日 を除く毎日朝夕二チュウづつの坐禅 と毎月の接心が中心です。土曜 日の午前には九時から一チュウの坐 禅のあと、一時間のレクチャー があります。その後、夫々の担 当の仕事を午後二時頃まで行い ます。一月から三月にかけて、ブ ディスト・スタディがあります。 故老師の御意向で、仏教全般の 理解を深める為に毎年テキスト を選んで何人かが講義をします。

 また、MZMCには、ミネソタ州南部に宝鏡寺という広大な 土地があります。一九七七年に 購入されましたが、まだ仮りの 本堂兼坐禅堂等数棟があるだけ です。接心などの際には参禅者 はテントで寝泊まりします。厳 寒の冬には使用不可能でしたが、 この程ようやく坐禅堂に防寒設 備が整い冬にも使用できるよう になりました。これらの工事は、 アメリカ及び日本からの支援金 によってなされてきました。こ の土地に本格的な坐禅道場を創 立するのが片桐老師の御計画で した。いまだに道のりは遠いで すが、来年から一年を通して何 人かが常任できるように考えて おります。

 昨年十一月十三日(土)にMZMC創立二十周年記念祝賀会 が行われ百五十人程の人々が集 りました。次の二十年に向けて 新しい出発をする決意を確認し あいました。

 この禅センターは片桐老師が 種まきからはじめて育ててこられ たものですがまだ小さな苗木の段 階です。これから健全に育ってい くようにと願い、メンバーの人々 と共に精一杯の努力をして参る 所存でおります。日本の人々から の御支援をお願い申し上げます。 ※故片桐老師の講義録が、近日 中、発刊されるとのこと。


禅センター 「好人庵」禅堂落慶法要 六月十八日厳修される!

 一九八三年好人庵禅窟として 開単以来、八七年開教師辞令の 公布、九一年に米国の宗教法人 認定、本年二月曹洞宗・白雲山 好人庵としての認可に至るまで 着々と教線を整えてきた同主管 秋葉玄吾師が遂に新禅堂の落慶 法要を厳修する運びとなった。

 六月十八日、永平寺監院・南 沢道人老師の御親化にて、日本 から約三十人の尊宿と開教師並 びに禅センターの講師の随喜を 得て、盛大な法要が執り行なわ れる予定。

 敷地六〇〇坪の新たな禅堂は 名高い加州大学バークレー校を 控える閑静な高級住宅地に位置 し、美しい自然環境に包まれて いる。古風を慕う弁道にふさわ しい純日本式の僧堂(五間×五 間半)と衆寮(五間×三間)本堂 兼庫裏(十五間×六間)を擁し、 まさに師の標榜する「発展と安 らぎ」が体感できる素晴らしい 道場となった。

 「只菅打坐」の現代的あり方 と、長い将来を見つめる為の新 たな拠点にしたいとの道念を称 え、心から祝意を表したい。  米国人への布教の難しさと勧 募活動はもとより、隣人の反対 と誹謗にあって三度公聴会を開 く等、数々の難関を経て漸くこ ぎつけた祝典ゆえ、その喜びは 計り知れないものがあろう。

 「これまでに寄せられた多く の御法愛と御支援に対し、紙面 を通じ満腔の謝意をお伝え頂き たい」と、秋葉師は語っている。


桑港寺創立六十周年記念 式典準備順調に進む!
平成六年十月八・九日挙行

 サンフランシスコ桑港寺は、 一九三四年(昭和九年)十二月 八日の成道会の佳き日に初代磯 部峰仙老師によりその法幡を掲 げた。以来、日系同胞の信仰の 拠り所とし、またアメリカ参禅 研讃の場としてその名を内外に 轟かせ今日に至る。その間、歴 史の波に飲み込まれ、戦時中の 強制収容その他幾多の激動に耐 え法燈を守り通してきた。この 間、時代の変容に即した各歴代 開教師の不退転の道心により、 布教の拡張と人心の確保に努め てきた。そして現在の主任開教 師第九世・細川正善師は、一九 八四年四月、長年の宿願であっ た新本堂移築落慶法要を故丹羽 兼芳禅師を拝請し執り行なった のである。

 細川師は、「桑港寺開堂六十 周年並びに本堂移築十周年を迎 える我々は、このまたとない勝 縁に先達諸賢者の遺業に報いる べく、二十一世紀に向け新たな 布教伝道を展開していきたく存 じます。しかし、今までの布教 のように一開教師の孤軍奮闘で は今後の海外伝道の将来はなく、 これからは宗門の海外布教に対 する明確な方針と宗門全体の深 い理解、さらには各開教地での 総監部の強い統率がなくては海 外布教の将来は望めない」と抱 負と展望を述べられている。細 川師にとってこの六十周年記念 行事は一入の思い入れがあるよ うだ。記念行事の一環として 「禅を聞く会」を企画しており、 師の法幢師である福島県興国寺 住職・辻淳彦老師に基調講演 (同時通訳)を依頼していると いう。
詳細については、SZI 事務局まで。


シンポジウム 「今問われている平和と曹洞宗の国際化」

 国際化の波が押し寄せる昨今 の情勢を鑑み、SZIは来る六 月二日(木)午後一時半より、 下記の通り、パネルディスカッ ション形式でシンポジウムを開 催する。世界平和を実現するた めに宗教者の立場から何らかの アクションが起こされてしかる べきである。このシンポジウム では、我々のとるべきスタンス を考えていきたい。


南米駐在開教師 佐藤鴻舟師 辞任帰国

 南米ローランジャ仏心寺主任 開教師・佐藤鴻舟(富山県明禅 寺副住)は、四年間の駐在任務 を終え、このたび帰国した。佐 藤師は、ハワイ開教師であった 師匠・佐藤博道師へ現在永平寺 直歳)の長男。大変ご苦労様で した。


編集後記

 サラエボ女子フィギア金メ ダリスト…力タリナ・ビット 選手が、リネハンメル・オリ ンピックに参加し、華麗な演 技を披露してくれた。サラエ ボの悲劇を黙視せず、世界の 人々が見つめる氷上で平和を 訴えた彼女の英断に拍手を送 りたい。  宗門は、「平和」の旗を掲 げている。我々も一宗教者と して、微力ながら真の世界平 和を確立するために、ビット 選手のように何らかのアクショ ンを興すべく考えたいもので ある。      (伸)

 二月七日の役員会では総会 や会報の件は本より、種々の 意見が百出した。活発な討議 や熱い意見交換の機会と、形 に纏め得るシンクタンク的機 能が是非必要と、総会を兼ね たシンポジュウム案が浮上し たのもこの為。他にも「中国 残留婦人の特別身元引き受け への支援」「宗風挙揚と次世 代への布教」も亦、異文化間 の適応の問題に外ならぬと見 るべきか。「インターナショ ナルとは」「SZIの意義」 に対する認識度と株の底上げ の為、世界的大物の講演とい うアドバルーンも効果的では、 etc。総会での多くの文殊 の智慧を、今から楽しみとし ている。(満)

 SOTO禅インターナショ ナルが正式に発足して一年が 過ぎ、今年度より実質的な活 動を開始していくめどが立ち ました。  この一年の間に数多くの方々 のご賛同、並びにご協力を頂 戴してまいりました。しかし、 会をスタートさせることの大 変さを実感する貴重な経験も させていただきました。 大団体の曹洞宗内の固定的 観念にこだわらない、より自 由な国内外の布教を摸索して 行くという会の方針を基に、 会の活動を進めて行くという ことになり、大きな視野の平 和と国際化を見つめて、考え ていきたいと思います。(応)


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