第5号 1995年7月15日


主な内容
海外開教に対する確固たる認識を!

北米開教総監 山 下 顕 光

 元来、労働移民の心の支えとし て始まった北米の布教も、七十数 年の時を経て様変わりし、既に大 きな転換期を迎えています。白人 を中心とする多人種に曹洞禅は受 け容れられ、日系の寺院ではアメリ カ人の僧侶も活躍し、沢山の禅セ ンターもできました。今後も禅の需 要は伸びる可能性は高いでしょう。

 その中で一番必要なことは優秀 な人材とそれを活かしていくことで す。海外開教ではお経を詠んでい るだけでは決して通用しません。僧 侶の質と度量が問われます。仏教 に関する知識は勿論のこと、宗教 者として、宗侶として世の中の動 きを見極める世界的視野と行動力 が必要とされます。

 しかし、それを担う開教師の生 活は決して楽ではありません。副業 を持つか、妻女が働かなければ喰っ ていけません。五十年の開教生活 の間に、生活に追われ副業が本業に なってしまった開教師も沢山みてき ました。もう少し布教努力ができる 程度の生活の安定は必要でしょう。

 金がなければ布教ができないとは 言えません。ですがお金も布教の大 きな条件の一つです。行雲流水、 寺もいらない、檀家もいらないとい う昔の考えも確かに良い、しかし、 坐禅や催物、文書伝道、文化活動 など色々な角度から縁を広げる北 米の布教の現実では難しいのです。

 また、今の北米開教の発展も、 もとを質せば日本から片道切符で 送られてくる開教師と日系人達の 作り上げた寺を母体として生まれま した。各々が自分で寺を建てれば 自分の寺と言いたくなるのが人情で しょう。しかしそれでは分派を増や すばかりです。檀家と僧侶、僧侶 どうしもみんな仲良く、これが一番。 派閥をたてたり枠を作ったりしてい る場合ではありません。曹洞宗すべ ての僧侶と檀信徒が一つになって 力を併せるときです。

 そのためにも宗務庁が海外開教 に対する確固たる認識をもって組 織を掌握し、人材の育成、財的支 援がなされるのが正道です。しかし それ以前に宗門僧侶一人一人の深 い理解が何よりも肝心です。

 SOTO禅インターナショナルが その橋渡しとしての機能を努めてく ださることを有り難く思い、また今後 の発展に大いに期待を寄せています。


特集
ティク・ナット・ハンと共に

 欧米諸国でダライ・ラマ師と共に仏教のリーダーとして高い評価を受 けている詩人であり、平和運動家であるヴェトナム僧・ディク・ナット・ ハン師が、四月二十八日、来日された。

 関西国際空港に到着し、その足で阪神大震災で被災したヴェトナム 人たちが身を寄せるキャンプ村を見舞った。翌二十九日、大坂のメイ ンシアターでの講演を皮切りに、比叡山での一日講習会、京都での若 い仏教者との集い、伊勢原での五日間のリトリート、そして有楽町・読 売ホールでの東京講演会、清里での四日間のリトリート、鎌倉での一 日講習会と、あっという間の二週間が過き去った。

 今号では、通訳に携わった藤田一照師、清里リトリートに参加され た大場満洋師、そしてこのプロジェクトの実行委員として一行をお世 話した西沢応人師にティク・ナット・ハン師について語って戴いた。

仏教を現代に蘇生させる人
ーティク・ナット・ハン師の印象ー

北米・パイオニァバレー禅堂主任開教師 藤 田 一 照

 約二十日間の日本滞在中、ティ ク・ナット・ハン師が各地でおこなっ た講演会やリトリート(合宿)は いずれも盛況であった。私は全期 間を通訳兼準スタッフとして師に 随行していて参加者がそれぞれに 深い感銘を受けているという確か な手応えを肌で感じた。私が会場 で会った一人の若者は「こういう 人がお坊さんなら、そしてこうい うものが仏教ならもっともっと学 んで実践してみたいという気が起 きる。」とうれしそうに語ってい た。ハン師はアメリカにおいても 最も敬愛される仏教指導者として 多くの人々に大きな影響を与えて いるが、今回彼と日本人との出会 いの様子をまのあたりに見てその 理由の一端が理解できたように思 う。

 仏教を新鮮で活力にあふれたも のとして現代に蘇生させ、人々を 啓発し続けている彼から我々は多 くのことを学ぶことができる。 「仏教の蘇生、再活性化」という ことは我々が個人としても宗門全 体としても直面している切実な課 題であり彼はその大先達として一 つの手本を我々に示していると思 う。

 こういう問題意識に立って、 今回しばらく側にいて得たハン師 の印象を幾つか記してみたい。

 駅のホームで人々が忙しく行き 交う中を彼がいつものように微笑 みながらゆっくりとマインドフル にかつ自然に歩く光景を眼にした とたん、私はそれまで観念的に理 解していたマインドフルネスの意 味と意義が実際のこととして一度 にわかったような気がした。ハン 師の存在のありようそのものがな によりも雄弁に具体的に彼の説く 教えを物語っているのだ。波の語 る声、坐る姿、歩く姿、食事をす る姿、波の一挙手一投足を見れば だれにでもそのことが自ずと感得 されるだろう。

 それは他人の眼を 意識してことさらにとりつくろっ たようなその場かぎりの演技では なく、長年にわたる行の持続によっ て培われ彼の心身にしみ込んだも のであり、「行仏威儀」という言 葉にふさわしい他者への感化力を 持っている。

 ハン師は法話の中でよく「エン ポディ」と言う英語を使ったがそ れは「体現」するという意味であ る。釈尊にならって仏教修行者、 特に僧侶はその教えの体現者にな るよう精進しなくてはならないと 彼は言う。彼は敬度に戒律を守り 誠実に修行を続けている一介の老 仏教僧であって、どこからみても カリスマ的な教祖からは程遠いご く普通の人である。それでいなが ら同時に、我々仏教谷が目指すべ き静けさ、平安、英知、慈悲など の諸徳を精進の結果として体現し 得た実物見本にもなっている。

 仏教の行の素晴らしさのいわば生き 証人と言える。まず第一に波の存 在そのものが持つこうした素晴ら しさにうたれれるからこそ人々は 信頼して彼の話に耳を貸し学ぶ気 持ちになるのだろう。

 彼の法話も修行法もどこまでも 仏教の基本に忠実に沿ったもので あり、時の流れのなかで複雑・難 解・非実践的(観念的)になって しまった大乗仏教を簡素・明快・実 践的な仏教の原点、原型にふたた びもどそうという熱意を強く感じ た。

 彼自身は臨済宗に属するヴェ トナム人禅僧であるが、法話のな かでは「仏陀とは」とか「仏陀の 教えによれば」という表現をしば しば使い、また彼が説く瞑想法は 南方仏教で重んじられている「ア ナパーナサティ・スッタ」や「サ ティパターナ・スッタ」といった 経典に基づいており、いわば坐禅 の源流にあたるような修行法であ る。このように彼の呈示する仏教 では宗派的臭みや偏りというもの がなく、宗派に分かれる以前の始 源的な「仏陀の教え」が一貫して 説かれる。また彼の教理と実践は 伝統的ヴェトナム文化の内部での み通用するような地域性を脱して いて現代の欧米ということなった 場においても十分通用する世界性、 現代性を備え専門的用語を極力避 けて平易な日常語で表現される。

 だから仏教に初めて触れる人でも 宗教的伝統を異にする人でも彼の 教えを抵抗を感じず受け入れるこ とができるのだ。

 彼の態度からは仏教の有効性と 価値に対する揺るぎない確信がひ しひしとこちらに伝わってくる。 ヴュトナム戦争以来、困難な状況 の中で仏教者の立場から平和運動 や難民救済運動にたずさわり、近 年は自分自身が亡命生活を送りな がら文化を異にする西欧の人々を 相手に仏教を指導してきたという 経歴からわかるように、今の彼の 仏教思想と表現はそうした厳しい 現実によって絶えず真価を問われ、 試され、鍛え抜かれてきた成果と して結実したものである。

 彼はこれまで生き抜いてくる過程で我々 の想像を絶するような様々な困難 や苦悩にぶつかったが、そのつど 仏陀の教えと実践に参じてそれ を乗り越えてきたと言う。だか ら彼の法話や修行法は一見する と極めて平易で初心者レヴェル のものにすぎないように見える がそういう切実な実験によって 吟味、厳選され洗練されてきた もので、実は深い奥行きと尽き ぬ味わいが秘められている。そ れを受け取る者に変容を起こす だけのパワーを持つことが証明されてきているの だ。彼の語る簡明な言葉がある時、 ふと深い意味を以て思い起こされ たり、誰にでもできる単純な実践 を実際にやってみると思いもかけ ぬ発見があったりといったことは 私も含めて多くの人が経験した。

 坐禅修行や仏教教理の研究がい かに盛んに行われても、もしいま 現に苦しんでいる人々の存在が忘 れ去られ、彼らの済度につながら ないならばそれにどんな意味があ るでしょうと彼は問いかける。ハ ン師は現代に生きる我々個人や社 会の苦悩や不幸をハッキリと見据 えそれを真に乗り越える正しい道 を具体的に我々に示すという一点 に焦点を絞っているように思われ る。

 「行動する仏教者」と呼ばれ るにふさわしく、彼は人々の苦し みに触れそれを癒し変容するため に積極的に個人や社会に働きかけ ている。それは眼の前で病に苦し む患者を援助する臨床医のようだ。 だから時間の浪費でしかない戯論 的な話は一切しない。

 いろいろな刺激にさらされ何者 かに追いたてられるように意味な くにしく暮らして疲れ果て、自己 を見失い、人々はバラバラに孤立 して孤独の淵に沈み愛と理解に飢 えて苦しんでいる。そんな我々の 有り様を彼は「ハングリー・ゴー スト」(餓鬼)と呼ぶ。来日中の 彼が全力を注いだのは、何故われ われがこの様なハングリー・ ゴーストになっているのか、 その原因を語り、その状態 を癒し変容をさせるにはどうしたらいいのか、 その具体的方法を伝え、 人々が餓鬼の世界から 脱出することを援助すること だったと思う。

 それを自分の  こととして聞き、 実践を通して 癒しと変容を実体験した 人々を私は何 人か見かけた。

 紙面の関係でこれ以上は記せな いがこの他にも多くのことを学ば せていただき、現在それを咀嚼し ているところだ。私は八年前この ヴァレー禅堂に来ることになった 時、「日本文化の中でできた曹洞 宗というものをアメリカという異 文化のなかで一度御破算にして零 から道元禅師の教えを生き生きし た形にしていけ。」という課題を 師匠からいただいた。現代生活の 病弊に深い理解を持ち、そこから の解放の道としての仏教を静かに、 かつ力強く説くハン師に今回直接 お目にかかり話を聞けたことは、 いまその課題に取り組んでいる最 中の私にとってどれだけ励ましと 示唆になったかはかりしれない。

(今回私がハン師に随行できる機会を与えてくださったマインドフル・プロジェクト、宗務庁国際課、 曹洞禅インターナショナルの皆さんに心から感謝致します。)


ワンダフル・モーメント清里
ーティク・ナット・ハン師の 清里リトリートに参加してー


元北米開教師・観音院 大 湯 満 洋

 読売ホールにおける東京講演会 の翌日、五月十日から十三日まで 行われたりトリート(接心)に参 加した。会場は、高原列車やペン ション群で知られる清里のシンボ ル・清泉寮と、その広大なキャン プ場に点在するコテージ等である。 その環境は、ロス仏教連合会のサ マーキャンプを思い出させる。

 約一四〇名の参加者と共に、新緑の 森の静寂と安らぎの中で深く呼吸 し、常に瞑想を心掛けるマインド フルな行住座臥をすごしてきた。

 五月晴れのなか現地へ向かう道 すがら、町ではとうに緑となった 桜の花がまだ見られ、同時に山の 新芽も楽しめるという、妙な興趣 を味わうことができた。キリスト 教の施設で、フランスからのヴェ トナム人僧が説き、藤田一照師の 通訳に、多彩な顔ぶれの若き日本 人達が耳を預ける、というのも妙 な感慨があり実に新鮮で心地好い 体験であった。

 親潮と黒潮の出会う海は、豊か である。伝統の教義と現代の問題 が交わる所に、実践の行が起こる。 自分と外界が溶け合えば、気づき が生まれる。経典と実生活が結び ついて、般若(理解)が得られる。 ヴェトナムは、大乗仏教と上座部 仏教が出会う国である。ティク・ ナット・ハン師の風貌にも、二つ の異なった雰囲気が重なり合って 映る。一つは、農夫のような飾ら ぬ穏やかなほほえみである。今一 つは、焼身自殺僧達の師として、 また苛酷な境遇の難民達の父とし ての寂慮であろうか。これが、 「Engaged Buddhism」なのか。

 師の静かな息づかいと微笑みの 語り口調によって、「八正道」は 普段の行為に当てはめられ、禅の 境地は当たり前の心に生かされる。 空や無常は美しい詩で表現され、 読経は優しい呼びかけとなる。 Present Moment & Wonderful Moment ,「今+心=念 (Mindfulness)」 などの簡潔な説明には、 古色蒼然たるイメージは無く、生 きた仏法の魂が蘇るようだ。

 それらを理解する為に常に心が けるのは、呼吸を使って心を集中 することである。中部阿含経典部 118・『念処経』の呼吸法に基づい て歌が作られ、息を調え心を集中 するように導かれる。「出息入息」 は詩で唄われ、「緩歩」は移動の 基本となり、「経行」は森林浴の 散歩となる。そして、日常たびた び小さな鐘の音が鳴り響き、全員 が己の心に接して欠気一息をする。 こうした暮らしの中で「只管」は マインドフルネスと言われ、「唯 務」は「Now & Here」の問いか けとなる。

 その為か、最終日の昼 食で発生した毒草による中毒騒動 も、外国からのゲストやスタッフ の多くが難を逃れた事や大事には 至らなかった事も幸いして、マイ ンドフルネスの貴重さを痛感する 得難い体験となった。苦しみを感 じながら、息を吸った。心を感じ ながら、息を吐いた。他の悲しみ を思いながら、息を吸う。他の無 事を願いながら、息を吐く。平静 を瞑想しながら、息を吐く。苦の 消滅を瞑想しながら、息を吸う。 気づきやマインドフルネスの、か けがえの無い実践となった。 不尽


世界仏教を観る

元ハワイ開教師・祥雲寺副住 西 澤 応 人

 ティク・ナット・ハンが来日した。 SOTO禅インターナショナルの 一員として、ティク・ナット・ハン 師の日本への招聘実行委員会に参 加してきました。ハン師は、四月 二十八日に来日して、大阪を皮切 りに五月十五日の鎌倉まで、各地 で講演会、リトリート(キャンプ) 等を数多く行ないました。

 SOTO禅インターナショナル では、東京での講演会を、招聘実 行委員会(マインドフル・プロジェ クト)と共に、宗務庁国際課、教 化研修所の協力を得て五月九日に 有楽町読売ホールに於て開催いた しました。

 ハン師は、近年欧米に於て名声 の高いヴェトナム禅仏教僧です。 今回の来日に際し、ハン師からの 要望がありました。阪神大震災の 被災地を訪問して、在日ヴェトナ ム人の慰問をしたい、というもの でした。師の今回の関西でのスケ ジュールは大変過密なものでした が、その間際を縫っての慰問では、 神戸地区のヴェトナムの人々に大 きな喜びと光を与えたようです。

 私は、神奈川県伊勢原市での四 泊五日のリトリートを終えて東京 に到着した一行を、新宿駅と東京 グランドホテルにて出迎えました。 一行は、ここまでの長旅と休日な しのスケジュールの為にかなり疲 労していらっしゃった様ですが、 全員暖かい微笑みと美しい合掌で、 出迎えを受けてくださいました。

 さて、今回の来日をきっかけと して、師の書を読み進んで行くと、 師の言葉と、私どもが接している 日本の既成の仏教の持つエッセン スとの共通性を多く発見すること になります。仏教の話と言うと、 「難しい」「分からない」「つまら ない」等の感じをもたれる方が多 いと思いますが、師の話は分かり 易く、またソフトな感じがします。 日本語は、中国語、仏教に大きく 影響を受けてきたために、古くか らの言葉が多くそのままに残って います。そのために、現代の若い 世代には受け入れられにくいとこ ろがあると思います。

 例えば、『仏教の最基本の世界 観であり、価値観である「縁起」 は、仏教の思想と実践に直結する』 と説かれています。

 日本語でよく使う「おかげさま で」という表現は、英語に翻訳す るのが非常に難しい言葉ですが、 これは、英語に相当する観念がな いからで、仏教的な考え方が下地 にあって発展した表現です。その 下地のない社会に、仏教的考え方 を理解してもらうのは大変なこと なのです。

 私自身、米国内で布教活動をし ているときに、よくその壁にぶつ かりました。日本語の「先祖」と 英語の「Ancestor」、「極楽」と 「Heaven」 はニュアンスが違うの です。要するに違う言葉なのです。  ですから、ハン師にしてもダラ イ・ラマ師にしても、欧米で評価 の高い仏教者は、どんな国の人に も共通の人類普遍のテーマを題材 にして分かり易く仏教を説いてい るのです。そして、経済効率優先 の社会の限界が見えつつある今こ そ、オアシスとしての立ち寄りや すい仏教を、多くの人に感じてい ただきたいと思います。

 ハン師が説く「Interbeing的」 (相互存在)は、「おかげさまで」 なのです。

 今、一人一人が「仏」に少しず っ近づくことが、世界が少しずつ 彼岸の世界・理想の世界に近づい て行くということです。

 我々の根底には、すでに何百年 もの長きにわたって仏教のエッセ ンスが受け継がれてきている、と いうことを感じてください。


海外だより

北米ミルウォーキー便り
ホープレス・トーゼン(洞禅)10年目の独白
ミルウォーキー禅センター 主任開教師 秋山洞禅

 ロサンゼルス禅宗寺からミルウォー キー・ゼン・センターにやって来た のが、ちょうど十年前の九月初め だった。この辺りは冬になると零 下三十度以下になることもあり、 人々は極めて伝統的、保守的であ る。十年前、ゼン・センターのメ ンバーは十人ちょっとで、私達家 族(私と家内、当時十二才の娘) の生活を支えることはとうてい不 可能だった。しかも、当地はロサ ンゼルスと異なり日本人が少なく、 英語をアメリカ人と同じように話 すことができない家内がまともな 仕事を見つけるのは難しかった。

 運よく、すぐ近くのウィスコンシ ン大学ミルウォーキー校にパート タイムの日本語講師の口があいて おり、八六年の二月から私がそこ で日本語を教え始めたので、家内 のアルバイトと合わせて最低生活 だけは確保できたが、アメリカの 大学で教えるのは日本の大学で教 えるのとは比較にならないほど大 変で、私の要領の悪さも手伝って 日本語授業とその準備にばかり時 間をとられ、禅に思うほど時間を さけないためもあり、未だに日本 語を教えなければやっていけない 状態である。

 しかし、おかげで 「ゼン」を売り物にせずにやって こられたし、八六年九月にゼン・ センターが買った家のローンの支 払いも含め、この十年間大禍なく やってこられたのも、メンバーを 初め多くの方々の有形、無形の援 助のおかげと、感謝せずにおられ ない。

 伝統的、保守的なこの近辺では 日曜日にキリスト教の教会とかユ ダヤ教のシナゴーグ(ユダヤ教の 礼拝のために設けた教会堂)へ行 く家庭が多く、現在は行かなくて も子供の時は行ったという人がほ とんどである。そんな中で佛教や 禅に興味を持つのは、いわゆる知 識階級に属する人が多いのは当然 である。そして、ゼン・センター を訪ねて来る人に聞いてみると、 子供の時に親に連れられてキリス ト教の教会へ行っていたけれど、 どうしてもその教え、特に神を信 ずることができず、佛教や禅の話 を聞いてこれだと思ったという人 が一番多い。もう一つ多いのが、 混沌とした不安だらけの社会で、 また、忙しく騒がしいストレスに 満ちた毎日の生活の中で、瞑想に より心の平安を得たいという人達 である。

 まず、キリスト教、特に神を信 じられない人達が佛教や禅で一番 惹かれるのは、人間はだれでも佛 性を有し修行によって佛になるこ とができる、または、坐禅を修行 すれば悟を開くことができるとい う教えである。そんな人達に、人 間が佛性を有するのではなく、人 間を含めてこの世のすべての存在 が佛性そのものなのだ、悟を開く ために坐禅を修行するのではなく、 修行が悟であり、悟とは修行以外 の何物でもないと言っても、なか なかわかってもらえない。いった んはわかったようにみえても、す ぐ又それを否定するような考えが わいてくる。

 また、アメリカはプラグマティ ズム(実用主義)の国である。そ の上、目的または目標をはっきり たててそれをなし遂げ、それにみ あった報酬を得るよう小さい時か らしつけられてきたアメリカ人に、 悟とか心の平安とかいう功徳など はいっさい忘れてただ坐れと言っ ても、納得するのは至難の業であ る。

 さらに、私達人間は、頭の分泌 物である思いに振り回されて、腹 をたてずにいようと思っても腹を たてずにいられない、不平不満を 言うまいと心に誓ってもつい不平 不満が口をついて出てしまう、ど うにも救いようのない存在である。

 坐禅は佛性、つまり大自然の働き によって生かされた無量無辺の本 来の自己に目覚めることであるが、 無量無辺の本来の自己に目覚めた 時は、どうにも救いようのない現 実の自己に目覚めずにいられない。

 本来の自己に目覚めるとは、同時 に、このどうにも救いようのない 自己に目覚めることだと私が言う ものだから、ますます混乱するよ うである。しかも、「救いようの ない」の適当な訳語が見つからな いため、ホーブレス(望みがない) と私が訳すので、ホープレスどこ ろか文字どおりデスパレット(絶 望的)ととるか、人間は罪人であ るというキリスト教の教えと同じ に考えてしまう。

 佛教においては、この人間の救 いようのなさも佛性の表れの一つ であり、本来それは善でも悪でも ない。それに対して罪の意識を持 つのも間違いである。もちろん、 佛性の表れとは言っても、それは 佛性を見失った姿であり、そのま ま放っておいてよいわけではない。 ただ、とうにも救いようのない自 己に気づいた時できることは懺悔 のみである。ただし、佛教の懺悔 はキリスト教の悔い改めとは違う。 日々の行ないを反省し間違いを改 めようと努めることももちろん大 切ではあるが、どう悔いどう改め ようと思っても改められないから こそ「救いようがない」のである。 佛教の究極的な懺悔とは、手を組 み足を組んで只坐ることである。 本来の自己に目覚め本来の自己に 生きようとの誓願に生き、その誓 願に生ききれないがゆえに懺悔す る、これが一番の基本であり、ぜ ひわかってほしいと言うのだが、 文化の違いと私の力量不足のため、 なかなか理解してもらいない。

 数年前、宗務庁から派遣された 海外開教視察団の方々に、ミルウォー キー・ゼン・センターは今後もっと 発展すると思いますかと聞かれ、そうは思い ませんと答えた。禅をすれば悟を得て立派な 人になることができるとか、瞑想をして心の 平安を得、毎日を無事に過ごしましようなど と言えば、もっとメンバーもふえるだろう。 また、最初はアメリカ人にも容易に受け入れ られるような話をし、後で本当に言いたいこ とを言えばいい、方便も時には必 要だと言われることもある。

 しかし、一番初めに会った教えの大切 さは私自身痛感しており、釈尊の ように偉大な人でないかぎり、そ れを変えることがいかに難しいか という例もじつに多く見てきた。 どうしても、初めから一番大切な 点を聞いてもらわなければならな い。それに、やることは難しいほ ど面白い。こう言ったらいいか、 ああ言ったらわかってもらえるか といろいろ工夫するのも楽しいも のである。観急的、理想的に理解 しただけでわかったつもりになり がちなアメリカ人には特に、頭だ けでなく身体で禅を知ってもらわ なくてはいけない。ということで、 言葉や表現こそ違え本質的には同 じことを繰り返し繰り返し言って いるので、とうとうあるメンバー に「ホームレス・コードー(宿な し興道)、ホープレス・トーゼン」 と言われてしまった。

 心から尊敬する沢木老師にくらべられるのは 有り難いが、恐れ多過ぎる。それ でも、十年同じことを言い続けて、 やっと何人かはわかり始めてくれ たようである。できたら、もっと 若い人に来てほしいところだが。

 アメリカには、曹洞禅、臨済禅、 中国禅、韓国禅、ベトナム禅、チ ベット佛教、あげくの果ては、最 近流行のニューエイジ宗教や心理 療法まで混ぜこぜにした、自称、他称のロー シ、センセイがたも珍しくない。この混沌と した状況の下で最も必要なのは、見かけや目 先の人数にとらわれるのでなく、百年、二百 年、いや千年先を見つめて、真に一個半個の 教化につとめることだろう。

 アメリカ禅は一 時のブームが終わり衰退期に入ったと言う人 もいるが、とんでもない。アメリ カにおいて、禅はまだ始まったば かりである。いたずらに枝葉を広 げようとするのでなく、根を地下 深くしっかりと張らせる時だと思 う。

 本年五月にロサンゼルス・ゼン・ センターの前角老師が遷化された。 海外のゼン・センターの指導者が たはみな早逝されるようである。 過労が関係しているのかもしれな い。私など指導者ではなく、どう にも救いようのない一介の修行者 にすぎないが、年も考えずに無理 をして身体を壊したこともある。 やはり、いつ往くかわからない。 しかし、命あるかぎりは全力を尽 くし、アメリカ禅発展の捨石にな りたいと思っている。 合掌


北米ミネソタ便り

 前号にて紹介した原田道一師のワンポウル・ネットワーク・ ミネソタは、一鉢仏縁の草の根運動として良い輪作りができてい るとのこと。事務局から第一号通信、そしてミネソタより「ミネ ソタ宝鏡寺だより」が寄せられた。

 「ミネソタ宝鏡寺だより」発刊に寄せて
ミネソタ禅メディテーションセンター
主任開教師 奥村正博

 これまで、宝鏡寺は夏期(五 月〜十月)以外は使用不可能で したが、創立十七年目にして、 やっと少人数でありますが、年 間を通して常住し、坐禅修行が できる道場になりました。故片 桐大忍老師との御法縁によりま して、御法愛をいただいており ます、瑞応寺堂頭・楢崎一光老 師、同堂監・楢崎通元老師をは じめ、托鉢を通して御支援を頂 戴いたしました多数の日本の方々 に心より御礼を申し上げます。

 片桐老師が発願し構想してお られましたような、僧堂、法堂、 庫院を備えた本格的な道場には、 まだまだ道はるかではありますが、 少しずつでも確実に進んで参る 所存でおります。

 またこの度、岐阜県正宗寺住 職原田道一老師のよびかけとS OTO禅インターナショナル会 員皆様のお力添えによりまして、 ワン・ポウル・ネットワークを発足 させて頂き、草の根的な交流を 進めて頂けるとのことで心強く 存じております。

 この機会に、これまで御支援 いただいた方々、これから御縁 を結んでいただける方々に、こ ちらでどのような風景が展開し ているのか御理解いただければと 念じ、「ミネソタ宝鏡寺だより」 を発刊することに致しました。

 ただ建築進行のために、経済的 援助をお願いするというだけでな く、坐禅を通じた日本とアメリ カとの交流の場として、お互い に学び会い、共に育っていけれ ばと願っております。    Vo1 Summer 一九九五

「宝鏡寺の歴史と現状」
瑞光レディング(横山泰賢・訳)

 平素日本の皆様には、私どもの 努力に対していろいろと御助力を 頂き大変感謝しております。  このニュースレターは、私共の活 動について理解を深めて頂きたく、 ここ二年間の宝鏡寺の様子をお知 らせするものです。

 まだ、宝鏡寺について良く御存じ ない方もおられると思いますので、 簡単な歴史から始めさせて頂き、そ のあと私共の建築活動と修行につ いてお伝えしていきたいと思います。

 宝鏡寺を設立したのは、今から 三十年前日本曹洞宗の開教師とし て来米された片桐大忍老師です。 老師はアメリカの人々と約十年間 修行を共にした後、アメリカ人僧 侶を養成する修行道場がアメリカ 国内に必要であることにきずかれ、 一九七八年に片桐老師の下で指導 を受けていた「ミネソタ・禅メディ テーション・センター」が、ミネソ タ州の南、ミシシッピー川の近くに 二八〇工イカー(一・一二二)の土 地を購入しました。この土地は農 村地域に有り以前は農地だったに もかかわらず森林と草原に還元され ており、私たちはこの自然からの恵 みをそのまま保護しております。こ の土地購入後すぐ将来の建築に備 えて、一五〇〇本の松と三〇〇〇 本のくるみの木を植林し、現在松 の木は五〇フィート(十五メートル) くるみの木は一〇フィート(三メー トル)まで成長しております。また、 リンゴの木を二〇本植えましたが、 それは毎年秋にリンゴを供給してく れます。

 いま宝鏡寺には禅堂・キッチン・ シャワー室・宿泊用キャビン・大工 小屋が有りますが最初の数年は、 禅堂の代わりに大きなテントを使い、 水はわき水、電気も無く、夜にな ると禅堂では灯油ランプを使ってい ました。一九八八年には水道を設 置し、それぞれの建物に電気を引 くことができました。

 現在有る建物は、禅センターの メンバーや支持者の労働力の奉仕 と努力によって一番最初に建てら れた物で、私たちも大工仕事や配 管工事ペンキ塗りをしましたが、た くさんのお金を節約できました。ま たこれらの建物は、大工小屋を除 いてすべてが仮の物で、本来は本 格的な僧堂・本堂・庫院を建てる計 画でした。しかし一九九〇年頼み の綱であった片桐老師の御遷化に より少しの間この夢を延期し、本 格的な修行道場の建設資金を集め るあいだ修行する場所を供給するた め、現状の施設を向上させるよう 努力してきました。

 禅堂は一九八二年に山内の樫の木を切って造ら れた物で二〇‐三〇名が坐禅でき ます。この禅堂には単が有りません ので木製の床に座布団を敷いて坐っ ております。夏の摂心のときには何 人かの人が禅堂で寝泊まりしていま すが、ほとんどの人が禅堂のそばに テントを張って寝泊まりしています。

 昨年まで禅堂の窓には網戸しかな かった為、五月〜十月までしか禅 堂を使えませんでしたが、日本の方々 からいただいたご寄付で耐寒用の窓 やドア、薪ストーブを設置いたし、今 年は冬のあいだも禅堂が使えました。

 キッチンは、禅堂と同じ時に建 てられた物で、禅堂に坐れる人二 〇〜三〇名分の食事を準備するの にちょうどいい大きさです。キッチ ンの窓も網戸しか有りませんでした が、昨年日本から托鉢で戴いてき た浄財を使って、耐寒用の窓やド アを設置し修理しました。これは、 この冬キッチンを使うことを可能に しました。しかしながら、水道管の 凍結を防ぐことができず、一年を 通じてキッチンを使うのは難しいこ とです。

 大工小屋は建築資材や大工道具 を保管するところで、一九八八年 に着手し、夏の間だけ人が来ては 作業し最終的に完成したのは一九 九一年のことです。この建物は材 木やその他の資材がすぐ使えるよう に保管できます。また、多くの人か ら寄付して頂いた大工道具(電気 鋸・鑿・鉋・など)の保管場所でも有 ります。あいたスペースは時に居住 空間となります。この冬ある人が大 工小屋の中に小さな部屋を造り、 そこで寝泊まりしながら夜は小さな 電気ストーブで寒さをしのぎ修行し ておりました。

 一九八二年に禅堂を建てたとき、 片桐老師の為に一部屋の宿泊用キャ ビンも一緒に建てましたが、一九 八五年瑞応寺専門僧堂の楢埼一光 老師に十日間の弁道会におこし頂 いたおり、バスルームと地下の寝室 を建て増ししました。このキャビン は、宝鏡寺に常住したい人の為に 建てられた物で、二、三名しか宿 泊できませんでした。

 昨年夏より改めて三、四名の修 行者や指導者が宿泊できるように 建て増しを始め、冬用のキッチンや ダイニングと小さなオフィスも付け 加えています。これが終われば七、 八名が宝鏡寺に住むことができます。 現在この作業は完成に近く、今年 の八月には完了するでしょう。これ が完了すれば、一年を通じて安定 した修行を維持することができ、摂 心やレクチャー(講座)、など年間 行事への参加を呼びかけることがで きます。そして、それを基盤に本格 的な修行道場の建設を始めること ができるのです。

 次に修行についてですが、この冬 は五名の人が修行を共にしておりま す。今まではミネソタの厳寒に対し て十分な耐寒設備がなかった為、 十月〜五月まで禅堂やキャビン、 キッチンを使うことができませんで したが、皆様からの御寄付によって 冬に備えての適当な設備を整える ことができました。

 私たちは現在「ミネソタ禅メディ テーションセンター」の主任開教師 で、ミネアポリスに居られる奥村正 博師のご指導の下で修行しており ます。奥村師は内山興正老師のお 弟子さんで、長い間アメリカの人 達と一緒に修行してこられた方です。

 師は常に宝鏡寺に居られるわけでは ありませんから、日々の修行は彰 顕ワインコフ師の指導で行事ており ます。彰顕師は片桐老師のお弟子 さんで一九八九年に老師からの嗣 法をうけておられ、瑞応寺専門僧 堂や聖護寺鳳山道場での修行経験 も有ります。

 宝鏡寺の日々の修行は坐禅と作 務が中心で、五時半振鈴、六時暁 天坐禅、朝課、清掃、小食、九時 ,十二時作務、中食、一時半〜五 時作務、六時薬石、七時半夜坐、 九時開枕、となっており、四・九日 は午前中作務の時間を、浄髪、洗 濯、など身辺整理にあてております。

 火曜日の夜坐には、近くの町か ら三,四名の参禅者がやって来ま す。彼らは宝鏡寺開単以来の参禅 者です。またミネアポリスやその他 からも時おり参禅者がやってきて、 数日間修行を共にして行きます。

 この冬は常に6インチ(15.2セ ンチメートル)の雪が積もっており ましたが、禅堂とキャビンでは薪ス トーブが私達を暖めてくれました。 気温が氷点下20度という日だけ は、禅堂を使うには寒過ぎました。 三月になって雪が融けると、公道 から山内まで約一キロ半の道がぬか るみ四輪駆動の車しか人ってくるこ とができませんでした。しかしなが ら今は暖かく乾燥しており、私達 は夏の修行を楽しみにしております。 合掌

宝鏡寺夏期行事予定

出家得度式
5月6日
 彰顕ワインコフ師によるジェリー・  パルムス兄の出家得度

メモリアル・デー摂心
5月26日〜29日
 国民の祝日を利用した三日間摂心

仏教修行と女性
6月2日〜4日
 フェミニストで仏教思想家のリタ・グロスさんによる女性の為の修行講座。

宝鏡寺禅仏教紹介講座
6月9日〜11日
 閑静な環境の中で禅仏教とその修行を紹介します。禅仏教についての質問やディスカッション・坐禅・ 応量器展鉢・作務なども行います。

摂心(七日間)
6月17日〜24日

ファミリー・プラクテス
6月30日〜7月3日
 家族で坐禅や作務、食事を共にしながら宝鏡寺の素晴らしい自然を満喫しましょう。

安居(入制)
8月20日〜10月1日
 道元禅師の教えに基ずいた伝統的な修行期間、坐禅と作務を中心に奥村正博師の御指導のもと今年は知事清規を味わって行き たいと思います。

レイバー・デー摂心
9月1日〜4日
 労働者の記念日を利用した三日間摂心。

摂心(七日間)
9月23日〜30日

解制(安居終了)

編集者の声
 私達は「生活の中に生きた仏教 の実践」を心がけております。日 本とアメリカ、お互いが廻光返照 できるような交流を念じ、今後は、 アメリカ人修行者の声なども交えて お伝えして参りたいと存じます。
御意見、ご感想、お問い合わせは!

Hokyo-ji Zen Monastery
PO Box 331 New Albin, IA 52160


クローズアップ・コーナー

ロスアンゼルスより

 ホスピスでの看護、それは仏教修行
北米開教総監徒弟 コロナ・智光

 私はホスピスで看護婦をしながら、 仏教修行しています。私の受け持 ちは末期治療の患者で、医師もこ れ以上治療を施すことができない人々 です。そして、私の仕事は患者のみ ならず、患者の家族にまで及びます。

 人生の、最終段階においての心 構えをしている患者と家族はほとん どいません。それは、医師と看護婦 についても同様で、患者とその家族 に対して、安らぎを提供する準備が 間々ありません。その結果、残念 ながら、患者とその家族はたびたび 見放されたと感じ、正しい解決のた めの情報や指導を必要としながらも 大変辛い状況に追い込まれています。

 私も看護婦になってこのように感 じる一人です。私は、末期治療に 関わっていました。末期治療では、 延命のための事はすべて行なうもの と思っていました。最初に疑問が湧 いたのは、患者が「これ以上の処 置はしないでください」と、訴えた ときでした。患者が、現代の医学 の十分な治療を受けている上で人 間として扱われ、患者自身の意志 で治療の決定がなされているかどう か、ということが次第にわかってき たのです。

 この疑問は、私にとって 大きな壁となりました。患者または、 その家族に最初に会い、引き受け るとき、我々に何ができるか。しか し我々は彼らに偽ったことを納得さ せることしかできません。私は、ま ず患者、そして家族の話を聞くこと を始めました。そして、ついに私は 一般病院の重症患者の看護をやめ ました。なぜなら、患者はすでにど のように人生を終えて行くかという 次の段階に直面し準備していて、 ただ私の処置する延命のための助力 と技術は意味を持たなくなりました。

 私たちは、彼らに手を貸し、助けよ うとしました。しかし、それは彼ら の不安と動揺をつのらせるだけのよ うでした。

 しかし、当時私はまだ、ホスピス の看護を十分理解していませんでし た。末期ガン患者や、エイズ患者 を私は直接看護したことはありませ んでしたが、その他の病気による患 者の死には直面していました。私が、 自分の仕事で看護婦として働いて いるときは、患者を選ぶことができ ませんでした。しかし、徐々にガン 患者やエイズ患者、そしてその家族 と接し、彼らは沢山の事を教えてく れ、私も多くのことを学びました。

 そして常に、私は患者の立場に なり看護を行ない、しかし何度かは 看護が行き届かず、そのつど彼らか ら教えられて看護を続けてきました。

 如何に私の仏教修行と仕事が結 びつくかというと、私は坐禅を通し、 寛大な心、受け入れる心、感受性 を養い、患者とその家族の感性と 行動から、仏教は辛さを克服する 大変貴重な教えと知らされました。

 ホスピスでは、主任福祉看護婦や ケースワーカーが指導と話を聞く看 護をしています。患者とその家族た ちに安らぎを与えることを約束し、 家族の患者に対する考えを聞き、 その実用的、具体的、安全なアイ デアの多くを取り入れて実行してい ます。看護婦は、患者の主治医、 社会福祉の専門家、適切な家庭内 における医療の情報、そして聖職 者やボランティアを含めた人々と共 に協力しなくてはなりません。

 看護のプランは、患者とその家族の ために、それに接する全てと共に展 開されます。

 私の修行に話を戻すと、坐禅が 私に教えてくれた寛大で自由な心は、 患者やその家族に、本人がだんだん 衰えて行くのを目にする辛い日々を どのように安らかに過ごすかを、彼 らに話させてくれました。私たちは、 お互いが話し合える機会を持ちまし た。私も責任上、患者と家族と、 そして私自身の安全のために共に同 席します。法的にも道徳的にも踏 まえたことです。感情的な未解決の 問題が持ち上がり、精神状態が影 響を受けることにならないように留 意し、家族や死に直面している患 者が、互いに何をまだ未解決と感 じるかを探る機会を与えることが大 事なことです。この時こそ、家族と の親密な関係を守らなくてはならな いと思います。ソーシャルワーカー もこの看護の段階においては、大変 大事な関わりであり、時に聖職者 の祈りは大変重要な部分になりまち

 これは、私の責任として、私が 見た変化を家族に知らせ、変化が 何を意味するか、そして何が必要か を知らせます。もし、患者と家族と が教会と密接な関係があるなら、 牧師、または聖職者に、私はこの ような人々を見舞ってほしいと提案 します。もし教会とはあまり関係が なく必要とあれば、我々のどの宗派 にも属さず、宗派の協議などを、 患者または家族に押しつけない中立 的立場の僧侶を見舞わせます。も し、患者とその家族がむしろ何もな いほうが良ければ、それを尊重します。

 仏教の教えは、全ての創造物は 最後を迎え、老いて行くことを教え ます。諸行無常、諸法無我、この 教えは大変私自身の役に立ち、死 期を待つ患者とその家族に対しての 看護のバランスを保っています。私 個人の感情は彼らの要望に振り回 されず、もしその時、静けさが必要 であれば静けさを与え、もし手を握 るのであれば私も誰かの手を握り、 もし静かな言葉が必要ならば彼らに 静かに語りかけるでしょう。

 私の人生と修行の中で、私は 「坐禅によって生かされている」と いう道元禅師の心理を十分に証明 できます。私たちは、共に助け合う 患者とその家族、そして私と全ての 人々が真理に立ち返り、互いに生 かされていることに気がつかなくて はなりません。

 ティク・ナット・ハンは相互存在と よび、それは我々の喜びでもありま す。喜びと苦しみは同じです。私は 仏の教えにより、心が開かれたこと に深く感謝し、仏の功徳を仕事に 生かしています。

 死を否定したり、無視する社会で は、ホスピスの仕事は、人生の最 後の日々を迎えようする人々にとっ て、紛れもなく、慰めであり救いで あるはずです。      合掌          (事務局 訳)


ロスアンゼルス禅センター主任開教師
   前角博雄師急逝す!

 ロスアンゼルス禅センター主任 開教師・前角博雄師は、去る五月 十五日、東京品川の桐ヶ寺(黒田 純夫住職)にて、六十五歳で示寂 された。密葬は、二十日午前十一 時より、秉炬師・余語翠厳真如台 老師、奠茶師・泉岳寺老師、奠湯 師・大雄院老師の三仏事師により 執り行なわれた。葬儀委員長に駒 沢大学学長・奈良康明老師、副委 員長に駒沢女子大学副学長・東隆 真老師、大本山永平寺国際部長・ 松永然道老師がつとめられた。な お本葬は八月二十七日、ロスアン ゼルスに於いて厳修される。

前角博雄大和尚略歴
 昭和六年ニ月一一十四日、栃木県 大田原市光真寺三十六世里黒田白純 大和尚次男として生まれる。
 駒沢大学卒業。曹洞宗大本山総 持寺安居。原田祖岳老師門下 安 谷白雲老師並びに臨済宗禾山派定 光老師門下苧坂光龍老師の室に入っ て大事を了畢。黒田白純老師に嗣 法。桐ヶ谷寺三世となる。昭和三 十一年ロサンゼルス禅宗寺駐在開 教師として渡米。ロサンゼルス禅セ ンター佛真寺、並びに陽光寺を開 創。さらに黒田インステイテュート を設立し、学長に就任す。その他 ニューヨークに禅真寺及び道真寺 を開山。フランスに法玄寺を開山。 オレゴンに地蔵院を開山。その他、 メキシコ、ポーランド、ドイツ、オ ランダ、イギリス、オーストラリヤ 等、世界各地に禅道場を建立し、 禅の高揚に努め現在に至る。多数 の外国人の嗣法の弟子を育てる。
 平成六年、日米文化交流の功績 を認められ、前角老師及び白梅会 に対し、ニューヨーク州立大学よ りハリス賞を授与される。
 平成七年五月十五日、東京桐ヶ 谷寺に於いて示寂。六十五歳。


「伝道教師研修所」開催!

 S・F禅センター・グリーンガルチ禅堂にて 去る3月13日から4月12日 までの一ヵ月間、サンフランシス コ禅センター・グリーンガルチ禅 堂において、宗務庁主催の「伝道 教師研修所」が開催された。

 この研修所は、外国籍を有し本 宗の伝統に遵い、海外において教 義を敷演し、法灯の伝特に努める 伝道教師を養成するためのもので ある。これまでに、日本の修禅寺 大乗寺、興聖寺、そして北米カリ フォルニア州のタサハラ禅センター でおこなわれてきた。

 このたびの主任講師には、この 研修所終了後、訪日され、滞在中 急逝されたロスアンゼルス禅セン ター主任開教師・故前角博雄師、 そして特別講師には日本から、瑞 応寺堂監・楢崎通元師がつとめら れた。参禅、法式、声明、作務、 宗乗、余乗、布教及 び教化の科目が設け られ、定員十人の伝 道師をはじめ、多く の荷担僧が弁道修行 に励んだ。

 海外においての布 教教化に関して様々 な問題をかかえては いるが、宗制見直し によって、新しい伝 道師及び伝道教師規 程が施行されたこと は、外国人に対する 外国人自身による法 灯伝特の道が開かれ ことで意義深いもの である。

伝道教師とは?
 伝道教師研修所を修了した者、 両大本山拝登した者をいう。なお 伝道教師は、海外において伝道師 得度を行うことができ、そのもの に法灯の伝持を行なうことができ る。

伝道師とは?
 曹洞宗僧侶教師分限規程に定める 得度登録を了じた者、あるいは伝 道師得度を了じた者をいう。


南米別院本堂落慶法要今秋9月7日に

 平成四年五月に南米総監として 赴任された森山大行師は、各先代 総監の意志を引き継き、仏心寺再 建復興計画に着手され、このたび 本堂並びに庫裡ホールの完成を迎 えた。

 そして、今秋九月七日に落慶法 要を厳修する。

謹啓、時下尊台におかれましては 益々御清栄の段、お慶び申し上げ ます。

 本年は、日本とブラジルが一団 間の初めての修航通商航海条約を 締結して以来100年目にあたり、 また同時に曹洞宗管長高階禅師ご 開山以来40周年記念の年にあた ります。

 この意義深い年にあたり、南米 別院仏心寺の本堂落慶法要が修行 できますことは、不老閣猊下、紫 雲台猊下のご慈慮、宗務庁のご協 力に深く感謝申し上げます。また 「杖をついてでもブラジルに行く よ」と、あたたかいご支援を頂き ました故丹羽禅師様、南米開教に 身命を尽くされた初代新宮総監老 師に新本堂の報恩事業が出釆ます ことは、一別院の復興にとどまら ず南米一三ヶ国に向けての海外開 教に大いなる成果を期待できるも のと確信致します。

 この度、落慶法要の渡伯参拝を 企画されましたので何卒、皆様の ご参加を賜り、無事円成できます 様、ここにご報告妾々お願い申し 上げます。

 曹洞宗南米開教総監 森山大行


SZI総会報告

 平成七年度総会が五月九日(火) 午後二時から、東京グランドホテ ルにおいて開催された。松永然道 会長導師により本尊上供、海外開 教師示寂者追悼会、引き続き藤川 享胤師の開会の辞により総会が始 められた。

 まず最初に、松永然道会長の挨 拶があり、「梅花全国大会等宗門 の大きな行事と日程が重なり、会 員の皆様方には大変ご迷惑をおか げいたしました。日程の設定には SZIが後援をしておりましたティ ク・ナット・ハン師の来日東京講演 会の予定もあり、止むを得ない事 情をご理解頂きたい。

 今後とも宗門国際化の一助を担っ て努力していきますので、会員皆 様のより一層のご理解ご協力をお 願い致します。」と挨拶、そして 事務局より篠田一法師が議長に指 名され議事へと進行した。

 事務局より平成六年度の事業報 告、会計報告、そして会計監査報 告がなされ、満場一致で承認され た。次に平成七年度の事業計画案、 会計予算案が事務局から提出説明 があり、満場一致で承認され、藤 川享胤師の閉会の辞により総会を 終えた。

 総会修了後、別室にて親睦会が 開かれた。諸般の事情により参加 者は少なかったものの「ティク・ ナット・ハン師東京講演」までの 時間を楽しく有意義に過ごした。


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