第7号 1996年4月15日


主な内容
教化者育成のみち
駒沢大学総長 桜 井 秀 雄

 宗門における危機的状況を生み 出した最大の原因は、肉系相続に よる世襲制であるという。それは寺 院を場とした僧侶の仕事を職業と 兄なす立場からのことである。しか し本来の宗侶とは何であろうか。

 確かに道元禅師も「人其家に生れ 其道に入らば、先づ其の家業を修 すべし」と示され、そして「今も出 家人として便ち仏家に入り僧侶と ならば須く其業を習ふべし」と求め られる。

 ただ僧侶の業とは、観無常を第 一の用心とし、吾我を離れ知識に 随い仏行を行ずることである。それ は世間一般にいう如き職業である まえに、古仏の道にならい、限りな い度衆生の願心を発すことである。

 斯く思う時、よしんば宗門にお ける海外布教が、移民邦人の心の 支えとして始められたとしても、今 や西欧的恩弁と科学的な圧力に息 をつまらせている人人が、永平道 元古仏の正法禅に憩いの場を求め ようとし、その道を模索しているか らには、海外開教と宗教の国際交 流が、どんなに大事なことか贅言を 要しないことであり、現に開教師と して従事されている各位に深い敬 意を表してやみません。

 ただ問題は、ここでも依然として 展手の慈念をもった後継音の養成 ということが残っているということ である。そして弁解がましいことで あるが、駒沢大学内に附設された 「曹洞宗教化研修所」の管理責任 を荷い、且つ同所には海外開教課 程も存しながら、十全な機能を果 していないことは、正に慙愧の念に 堪えないところである。

 そこで提言したいことは、幼少の 頃から海外で育ち、言語生活で何 ら妨げを感じない、有能の心出家 者を、国内の専門道場に暖かく迎 え、身出家者として風儀を習い、 併せて身心学道の道念者として法 を嗣ぐ道を考案すべきであるという 事である。

 それは現開教師と肉系 であると否とを問わない。けだし布 教教化とは、終極的には教化者の 身業説法こそ要(かなめ)だから である。


特別寄稿
ブラジルの禅
…イビラス仏心寺における環境教育プログラム…

南米・イビラス仏心寺主任開教師 ピッチ大樹

 一九九五年は日本とブラ ジルの親善百周年に当たり、 ブラジル国民は様々なイベ ントを催しました。私達曹 洞宗にとっても、南米に禅 仏教が伝わってから四十年 目に当たる記念すべき年で あり、これを心からお祝い 致しました。

 ブラジルは世界的に見て も最も多くの日本人を受け 人れ、保護してきた国であ ります。この移住には日本 文化のいろいろな局面もつ いてまわりました。例えば、 一九五〇、六〇年代の野菜 栽培の増大とブラジル国民 の食生活の変化に伴い、日 本文化はブラジルの農業に 対して多大な影響を与えた のです。

 しかし、仏教の理解とい うことに対しての日本文化 の影響は極めて弱く、多く の日本人の子孫はキリスト 教への改宗を余儀なくされ ました。また、一九五〇年 代に高階禅師が来られ、南 米総監部が設立された後も、 日本仏教はブラジルで三〇 年以上も孤立していました。 その間に、ブラジルを訪れ た宗門の関係者や僧侶もご くわずかなものでした。

 今までに行われた行事で 印象深いのは、大本山永平 寺の南沢監院老師を団長と した御一行が来られた新宮 総監の葬儀が挙げられます。

 そして、その数年後の一九 八九年の初めには栖崎一光 老師の伝道訪問があり、日 本とブラジルの禅を通して の友好関係は強くなり始め ました。しかしながら、大 変残念なことに、私達は四 〇年もの間、禅師様をお侍 ち受けしておりましたが、 丹羽禅師様はご病気のため、 そのご訪問は実現致しませ んでした。

 今日、ブラジルの仏教と 日本の曹洞禅は極めて密接 な関係にあると」いえます。 南沢監院老師、また大本山 永平寺侍局であった青山老 師は近年幾度となくブラジ ルを訪問しておられます。

 また、この度の南米別院本 堂落慶法要には大竹宗務総長 をお迎えしました。

 私は、一九八三年にイビラス 仏心寺の開教師として 曹洞宗宗務庁の任命を受 け、このプ ラジルとい う国へやっ てまいりま した。ブラジルへ向かう、 私を乗せた貨物船があとに した千葉県の港を、私はい まだによく思い出します。

 四八日間の航海の後、ブラ ジルに着いた私はキリスト 教の伝統がある地域社会の 中で、仏教者としての責任 感からくる不安を感じてい ました。キリスト教の聖職 者の多くがコミュニィティー で有益な活動に従事してい たからなのです。

 私にとっての大きな問題は、仏教の 原理に反しながら、自分本 位的なイメージをいかに破 壊していくかということで した。

 金銭面では、小さなラン ブの燃料と必要最低限のも のをそろえるだけで精一杯 ですから、その他に何か計 画を立てるということは不 可能でした。お寺に来る人々 もごく僅かで、私はほとん どの時間一人で山に居り、 生活は原始的で孤独なもの でした。

 時々、日本を離れ るべきではなかった、私を ここにつなぎとめるものは 宗務庁からの任命だけであ る、などという思いも脳裏 をよぎりましたが、とにか く五年間は続けてみようと 聞く決意しました。

 私は、食物を生産する目 的での野菜園の栽培は、植 える、収穫するといったサ イクルが非常に短く、また 他の仕事に時間が取れなく なるため難しいと思いまし た。もし、このような計画 に数年の年月をかけていた なら、作務の時間もこれに さいてしまい、これ以上の 永続的な事業はできなかっ たと思います。

 そして、私達は当初のオー ナーに見放されていた一四 〇ヘクタールの土地に木を 植え始めました。これらは、 一九七四年に仏心寺が設立 されてからずっと保存され、 さらに今では動植物を守る ことの重要性から環境保護 地域として、政府の保護も 受けております。日本の寺 院や、日本庭園を思い浮か べながら私達もお寺のまわ りの庭造りを始めましたが、 あまりに大変なので本当の 宮殿を造っているのではな いかと思ったほどでした。

 しかし、五年後には、土壌 が肥えてきたことも手伝っ て最初の花が咲き始めまし た。

 そして、最も重要なのは、 地方の学校の教師達が、生 徒達に仏教徒のコミュニティl によって育てられた環境、 生態、人間、活動などを観 察させることによって、自 ずから確立された環境教育 のプログラムです。

 今日では、イビラス仏心 寺の環境教育プログラムは 約一万人もの人々を一年ご とに受け入れ、その半数は 学校に通う生徒であります。

 私達が、このプログラム を通して伝えたいことは、 緑や動物や鳥などを絶滅か ら守るためにエネルギーを 浪費することではありませ ん。環境保護は私達の内部 変革の結果でなくてはなら ないのです。

 そして、それ はすべての生命の存在の恩 恵を各々が回顧することか らなる利益なのです。教育 プログラムは生命に対する 愛と、すべての物事におけ る相関関係の仏教的理解に 基づいています。それは道 元禅師がなされたことであ り、ブッダの教えであり、 そしてその詳細は、永乎寺 の洗顔の方法に基づくもの でもあるのです。

 私は日本の曹洞禅が環境 問題に取り組んでいること を非常にうれしく思います。 そしてこのような禅仏教の 寄稿が知識、教えとなり、 また長い間にわたる慣習を もたらすことを心より祈念 しております。
 (訳 事務局 大谷有為)


海外インフォメーション
ヨーロッパ
 ドイツ直心庵一九九五年度活動報告

ドイツ直心庵開教師 中川正寿

ここに一九九五年度の活動報告をいたします。
1、ミュンヘン直心庵、定期参禅会。
2、仏教ゼミナールハウス・工ングルでの接心。
3、仏教ゼミナールセンター・シャイプス(オーストリア)での接心。
4、仏教ゼミナールセンター・ヴァルトハウスでの接心。
5、ゼミナールセンター・プレック(オーストリア)での接心。
6、デシマル系禅グループ(アーヘン市)での接心。
7、ベルリン仏教協会での週末参禅会。
8、ドイツ仏教連盟DBU創立四〇周年記念大会にパネラーとして講演。
 『学道の用心』を演題として、禅 に関心のあるドイツ人にはほとん ど知られていない「三宝帰依」 「発心」の大切さを強調しました。

 ちなみに講演の前半部は『傘松』 平成七年十月号に 「オーム事件と 三宝帰依」と題して掲載していた だきました。
9、ベトナム仏教寺院兼センター・プラムヴィレッジでの研修滞在(フランス)。 二月四日より九日まで。のちドイ ツにて一週間同趣旨のコースに参 加。
ティク・ナット・ハーン師その人 とセンターのあり方に感銘と示唆 を受ける。

一九九五年度の回顧
1、ハウスエングルにて多くの接心 を指導したこと。
2、DBU四〇周年記念大会にチベッ ト仏教系並びに上座仏教系に伍し て禅を代表して講演したこと。ま たその折りに著名なチベット僧ゲー シェNgaWang師やドイツ上 座仏教を代表するAyya Khe ma師、またオーストリヤ仏教協 会会長Genro Koudela 師、さらにDBUの中心メンバー と有益な交流ができたこと。
3、デシマル系グループでの接心指 導を通して(一九九四、一九九五) デシマル系の雰囲気の一端を知り 得たこと。
またベルリンにはじめて出張して、 ベルリン界隈の仏教グループの事 情をより具体的に見聞したこと。 4、日本より鈴木徹宗師の三ヶ月滞 在。

一九九六年度への展望
1、接心指導はHausEngひとつに絞る。
2、ベトナム僧Thi ChNhat Hanh師のフランスでの拠点、PIUmVillageに研修滞在をする。
3・ミュンヘン直心庵の活動は、来独中の小川元秀師と共同で指導し てゆく。
4、直心庵の改造と拡張。
・隣の60平方メートルも貸借する こととなった。毎月賃料約DM1000追加出費。
・ここに日本の畳を敷き和室とする(約15畳)。
・週末接心の宿泊休憩室とする。
・また談話室兼図書室ともし、会員相互の親睦の場とする。
・お茶やお花また日本語教室を開き、文化活動の場として利用する。
5、在独日本人のための参禅会の継続と充実。坐陣、講義、茶話会。
6、本格的な叢林生活を中心とする寺院建立のための生活規矩と活動内容のヴィジョンを詰める。また適当な物件探しの継続。


独墺参禅レポート
鈴木徹宗

 ミュンヘン中央駅から地下鉄 で北へ三つ目に、ヨゼフスキル ヒェ駅があります。小川師中小 心とする直心会の道場、直心庵 はここから歩いて数分の所にあ ります。アパートの地下室を借 りて禅堂にしてあります。

 ここでは週二回の参禅会と、月例の 接心が行なわれており、小川師 のドイツにおける活動の拠点と なっています。師はこの直心庵 の他に、ハワスエングル(ドイ ツ)、プーレック(オーストリ ア)、シャイプス(〃)等のセ ミナーハウスで、定期的に接心 を指導しておられます。

 参禅者はドイツ国内に限らず、ヨーロッ パ各地からも訪れています。今 回私は直心庵での参禅会、接心 の他に、ハウス工ングル及びシャ ィプスにおける接心に参加する ことができました。

 ミュンヘンから東へ列車で一 時間程で工ーゲンフェルデン駅 に着きます。ここから車で二〇 分の所にセミナーハワス「工ン グル」があります。このあたり 一帯、麦畑や牧草地で、農家が ポツポッと点在しています。

 「エングル」も元は古い農家で あったものを、改造や増築をし ながら徐々に整備されてきたも のです。禅堂と広間と、宿泊の 為のいくつかの部屋を備えたこ のセミナーハウスは、その名が 示すように、様々なグルーブに 利用されるセミナー施設です。

 禅堂とは言っても単があるわけ ではなく、一つの広いホールに なっており、各種セミナーの目 的に応じて利用されます。ここ では毎年夏冬それぞれ二週間、 市川師の指導のもとに接心が行 なわれています。今回私が参加 した夏の接心は七月二日から十 五日まで行なわれ、この間に次 の二つのコースが用意されまし た。

 〇接心A 二日〜七日
 〇入門接心 七日〜九日
 〇接心B 九日〜十五日

 接心Bはかなり坐禅に慣れた 人を対象としていて、一チュウ 45分で一日10チュウです。このう ち最初と最後の坐禅は自由参加 です。接心Aは坐禅の時間も回 数もこれより少く、一チュウ30分 または40分で1日11チュウです。

 このうち最初と最後、及び午後 の坐禅の一部が自由参加となっ います。入門接心は、初めて 坐禅をする人を対象としていま す。

 続いてシャイプスにおける接 心が七月二十二日から二十九日 で、接心Aのレベルで行なわ ました。

 シャイプスは、ミュンヘンか ウィーンに向って約三時間、 べネディクト派の僧院で有名な メルクの一つ手前、ポッハルム 駅でローカル線に乗り替えて南 へさらに四〇分程の所にありま す。無人の小さな駅で、前もっ て車掌に告げておかないと通過 されてしまいます。

 丁度、ウィーンとリンツの真ん中、やや南に 位置します。ここも工ングルと 同様、周囲は畑と牧場と森に囲 まれていて、近くの丘からは、 起伏に富んだ美しい日然が一望 できます。

 各接心の参加者は二〇名〜二 十五名程で、約二分の一は女性 でした。内容は、坐禅、経行、 諷経、提唱、作務、飯台、行茶 等日本国内と大差なく、一部西 欧人向けにアレンジされてはい るものの、特に異和感もなく、 彼の地の人達と共に極めて自然 に務めることができました。

 何よりも感心したのは、皆、 実に熱心に坐禅するということ でした。これは小川師の指導に よるところが非常に大きいので すが、彼等の坐禅に対する姿勢 は真剣そのもので、私の方が皆 に引き込まれてしまったようで した。

 西欧人は足を組んだり正座し たりするのはとても苦手です。 結跏趺坐のできる人は極めて稀 で、ヨーガや空手などを経験し たことのある、ほんの一部の人 に限られています。ほとんどの 人は半跏趺坐で、これも彼等に とってはたいへんな苦痛を伴う ようでした。

 また、接心の期間中、中川師 は個人面談の時間を設け、希望 する参禅者との対話を行なって おられます。この際、師の話に よりますと、ありとあらゆる類 の悩みや問題を持ち込まれるそ うです。私が冗談に「それでは まるで何でも屋さんですね」と 話すと、師は真剣に「その通り です」と言われました。

 ところで、ヨーロッパには 「マイスター」と呼ばれる宗教 指導者が数多くいて、それぞれ グループを作って活動していま す。小川師も西欧の人々から見 れば、このような多数のマイス ターの一人にすぎないわけです。

 ですから師の接心や参禅会に参 加する西欧人は、全体から見れ ば「氷山の一角」とも言えない 程の、極めて僅かな数にすぎま せん。しかし、この極めて僅か ということが「縁」というもの の不思議さと尊さとを言い尽し ていると思います。道元禅師の 教えに触れ、只管打坐を実践す るという千載一遇とも言うべき 機会がこの接心です。

 出会いを大切にし、その都度親切に、正 しく指導することが何よりも重 要であり、中川師は十数年に亘っ てまさにこのことを実践してこ られたのです。今回初めてその 現場を日のあたりにして私は、 仏法者というものは常にその原 点に、即ち純粋で普遍的な地点 に立返らねばならないというこ とを、改めて強く感じました。

 最後に、この様な貴重な機会 を与えて下さった小川師並び直 心会の皆様に心から感謝致しま す。

1995年5月15日より8月13日まで
ゼミナールハワス・エングル
 7月2日より7月15日まで
仏教センター・シャイプス
  7月22日より7月29日まで


北米 ペンシルベニア便り

 会報第四号のクロースアッブ・コーナー で紹介したペンシルベニア平等山禅堂主 任開教師・ベナージュ大円師より近況が 報告された。

 大円尼には23年間の日本 の生活、そして十一年年間の僧堂生活を終え、一九九〇年、北米ペン シルベニアで道元禅師の教えを広められている。特に、教誨師活動 に力を入れられ、いくつもの刑務所を巡回している。そして、軽犯 罪者から終身刑に至るまでの受刑者に坐禅の指導をしている。 アメリカ政府が積極的に坐禅を奨励しているとのことである。

 この度、「TRYCYCLE」という雑誌に連載されている刑務所での坐禅 ブラクティスの劇画を送ってくださった。タイトルは「ZEN KARMICS 」といって、最初は、「GATEWAY JOURNAL」という受刑者の人たちのた めの雑誌に連載されたものである。

 内容は、坐禅の仕方から心構えなどが描かれている。


会員だより
元南米開教総監 森山大行

 昨年9月、お陰様をもちまして仏心寺本 堂落慶法要円成し、大任を果たすことがで きました。南米総監在任中は多大なご支援 をいただきまして誠に有り難うございました。

 その後、10月より フランス、スウェーデン、ブラジル、ウルガイ、アルゼンチン、 チリーを接心巡歴し、3月末帰国致しました。南米の禅仏教も 躍動しはじめました。これから大きく成長することを実感しま した。

 国境を越えた坐禅指導に徴力ながら尽力して参りたいと 存じます。これからもどうぞよろしくお願い申し上げます。


会員寄稿
「人間もこの地球上で生かされている」

東京都中野 宗清寺副住職
(「中野区環境にやさしい      まちづくり指針推進会議」委員)飯島尚之

 大宇宙年間に浮かぶ「地球」 の誕生から現在までの歴史と いう時空スケールから考える と、人類の生存などは、ほん のわづかなものでしかありません。

 「地球が危ない」とよく 言われますが、それは間違い で、人類の生存こそが危ない のだということも承知しています。

 また地球の歴史から考 えれば、ヒトという種がいつ か滅び、それに代わるその環 境に適した他の種が繁栄する ことも、自然の流れだとも思 います。

 さらに、限られた地球の小 で成長しつづけることなど不 可能なことです。「持続的発展 が可能な社会」とよく言われ ますが、未来永劫に発展しつ づける社会などあろうはずが ありません。

 そんななかで「環境に配慮 したくらしをしよう」とか 「循環型の社会を築こう」とい うことがいわれているわけで すから、ある意味で滑稽なこ とかもしれません。しかし、 人として生まれた以上、未来 永劫などというおこがましい ことは言わなくても、せめて 子や孫の時代ぐらいまでは人 間らしく健康に暮らせるよう な、そんな環境を残してやり たいとおもうのが、人として 当たり前の感覚ではないでしょ うか。

 そのために、「人間もこの地 球上で生かされている。」とい うような視野のもと、環境問 題が、ある一面で宗祖の教え を再び学び次世代に伝えるよ い機会として受け止め、より 一層地域社会に貢献できる 「お寺づくり」に具体的に役立 てられればと思います。


国内インフォメーション
北米の托鉢僧をお招きして
「地球に感謝する集い」

 北海道に住むある作家が、自然 を考えるシンポジュームの中で 「共生とは共に利益を得て共に生 きることである。だが人間は自然 を必要とするが自然は人間を必要 としない。故に共生という関係は 成立しない。むしろ人間は自然に 寄生している。自然と人間は、対 等ではない。「自然にやさしい」 というが、それは人間の片思いで ある。」と発言している。

 アイヌは山菜を探る時、山の神 に「衣服の一部である山菜を分け てください」と祈り、必要な量だ け採って、決して採りつくしはし ないというのが身についているそ うです。

 人々が同じ地球に住んでいなが ら、争い、殺し、憎しみ、虐待す る行為が繰り返されるのは、人々 のこころのどこかに相手に対する、 おごりや侮りがあるからだと考え ます。

 おごりや侮りが思い上がりにつ ながり相手を蔑んだり、いじめた り、傷つけたりすることになると みえます。これは周りの生き物に 接する人の態度にも同じことが見 られます。私達人間は地球に感謝 することから始めましょう。謙虚 な気持ちで宇宙の苦悩の星、地球 からの痛みのメッセージを聴く態 度を磨きましょう。

 来年七回忌を迎える、北米の開 教師片桐大忍老師によって蒔かれ た種が、北米のミネソタに芽を出 し、お弟子さん達が四国の瑞応寺 僧堂に来て修行されました。永平 寺の副貫首である瑞応寺の堂長、 楢崎一光老師も、かつてミネソタ の山奥のこの貧乏な仮小屋の宝鏡 寺に招かれて、禅の指導をされま した。楢崎老師は九州の熊本にあ る大智禅師の御開山の聖護寺を国 際道場として開単されました。こ こで三年間修行され、ミネソタの 宝鏡寺を守っておられるのが、ワ インコフ彰顕宗師です。

 昨年九月に長崎の青眼寺の水町 老師と拙僧が激励の思いを込め、 現地ミネソタの宝鏡寺の安居(あ んご)という厳格な修行期間にお 邪魔しました。ここの皆さんは、 木を切り、山を掘って自分達で手 作りの道場を建てつつあります。

 又日本各地を歩いて托鉢され、少 しずつ、日本の皆さんと御縁を深 めておられます。拙僧も、日本の 各地に呼びかけ、雨漏りのテント に泊り僧堂に通う現況から、もう 少し安らかな修行ができるよう、 ご支援をお願いし微力を尽くして います。

 この度、飛騨の地へ、永くご修 行の3人が北米ミネソタより托鉢 に来られることになりました。 この機会に、丹生川文化ホールを 使用して、皆様に御参加いただき、 喜捨をいただき、講演会を開くこ とになりました。

 山紫水明の飛騨高山においても、 人間のおごりや侮りの心を捨てて、 謙虚な気持ちで地球、大地、自然 からの危険信号を聞き反省するこ とが大切であります。

 地球仏教は、海を越え、民族を 越えて地球の苦しみ痛みを知り、 大宇宙の大和楽の平和の願いに応 えなければなりません。

 ベトナムの禅僧で行動する仏教 者ティク・ナット・ハン師は「地 球の上を歩くことは奇蹟である」 といわれます。

 四国の詩人坂村真民さんは「尊 いのは、足の裏である」と地球に 毎朝額をつけて、世界平和を祈念 されています。

 托鉢を通して、釈迦の教えを実 践されるミネソタの方々との御縁 を大切に、ここに、飛騨托鉢講演 会を開くことを発願しました。ど うかご賛同くださいまして、喜捨 をお願い申し上げます。

 発起人 正宋寺住職 原田道一

ワインコフ彰顕師のプロフィール
出生年
1939年アメリカ合衆国

ミズリー州セントルイス    「13歳の時トリックの神学校 に入学、カトリックの祭司になる ため12間学び、1965年祭司 となる。3年間祭司を勤めた後、修 道院を出、人間関係について学び 修士号を所得、さらに、カンセラー 教育について学び博士号を所得、 以後心理学者として10年間を過ごす。

 1976年アメリカで片桐大忍 老師と出会い禅仏教を学び始め、 ミネソタ禅メディテーションセン ターのメンバーとなる。

 1985年片桐老師より出家得 度を受け、1988年に老師の法を 縦ぐ。(嗣法)1989年日本に渡 り、92年まで3年間、栖崎一光老 師の指導のもと、瑞応寺専門僧堂 や聖護寺国際禅道場で修行、その 後帰国し、現在ミネソタ州東南部、 ミシシツピー川沿いの人里離れた 谷にある宝鏡寺で、修行道場の設立 にあたっている。

通訳 SZI事務局 黒柳博仁師
(天周院副住・曹洞宗海外振興協議会委貝)


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